【宇和島城】登城記

2018年1月22日

2010年5月2日(水)
宇和島で宿泊した翌朝、宇和島城を訪ねました。

桑折(こおり)長屋門 登城口

三の丸御殿跡の登城口より天守を目指します。

本丸まで直線で登る登城道は、距離は短いでのすが、急な坂道を上らなくてはなりません。で、私たちは西角矢倉、長矢倉を見ながら遠回りして登城することにしました。

登城開始

桑折(こおり)長屋門登城口石段

午前8時20分
ここから登城を始めますが、けっこうきついです(-_-;)

長門丸をからの登城道
北櫓跡隅石垣

算木積みの石垣があります。

長門丸から二の丸へ

雷門への石段

この石段を上った先に「雷門」があります。

左手石垣の上に見える建物は、城山郷土館です。

雷門
三の門への石段

井戸丸からの登城道と合流し、三の門へ

三の門跡

三の門まで登ってきました。

三の丸門跡より、振り返り撮影

きつい石段です。

宇和島城天守

二の丸から天守閣が見えます。

櫛形門(一の門)

本丸の石垣が見えてきました。

天守台のようです。

本丸

午前8時50分 本丸まで上って来ました。

鉄砲矢倉跡
宇和島城天守

宇和島城を築城した藤堂高虎は、戦国一の建築家で高石垣と水城造りを得意とした。
加藤清正や黒田官兵衛に比べると、知名度では一歩及ばない。だが実績を比べてみれば、武将として一番大成し幸福な晩年をすごしたのは、この高虎であろう。
(男の隠れ家/ニッポン築城物語より)

藤堂高虎の良い話

仕官先を求めて放浪していた高虎はある日、空腹のあまり三河宿(豊橋市)にあった茶店で餅をたらふく喰ったが、まったく持ち合わせがなかった。しかし、それを主人に正直に話したところ「故郷に帰って親孝行しなさい」と諭され、路銀まで与えられてしまった。店の女将が近江出身であったことも幸いだった。後年、参勤交代の途中で高虎はこのお店に立ち寄った。すでに22万石の大名に出世していた彼は餅代を利息をたっぷりつけてかえし、主人と再会したという。
高虎の旗指物は紺色を白い丸で抜いた「三つ餅」。白餅は「城持ち」にかけており、無銭飲食をした時のひもじさを忘れないようにとの思いもあるのであろう。
(男の隠れ家/ニッポン築城物語より)

現存天守

天守入り口

宇和島城の玄関は唐破風で、一、二重目が千鳥破風。三重目が唐破風となっています。
玄関には伊達家の家紋「竪三つ引両」が見えます。

天守1階
天守1階から2階への階段

現存天守らしい階段です。

天守2階
2階から3階への階段
天守3階(最上階)
天守最上階からの眺望(南)

天守最上階から南方向を望むと、昨日訪れた天赦園が見えます。

天守最上階からの眺望(北)

本丸とその先に二の丸を見ることができます。
その先は宇和島湾です。

天守裏

天守を出て、裏側から天守を撮影

下城

帰りは井戸丸を通るルートで下城しました。

井戸丸
井戸丸を通る登城道

かなり急な石段ですが、下りなので楽です。

午前10時、宇和島城の登城を終え、今治城へ向かいました。

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