【今治城】登城記2

2018年2月7日

2014年1月13日(月)
午後12時30分、松山城から一般道を走り約1時間で今治城へ到着しました。

天守が見えたので一旦車を停め、写真撮影。

 

天守と山里櫓

現在、今治城を西側から見ています。

右手に「山里櫓」とその向こうに天守が見えます。

 

武具櫓

左手に見えるのは武具櫓です。

市営駐車場に車を停め、徒歩で鉄御門へ向かいます。

今回で2度目の登城です。

鉄門登城口

今回も鉄御門側から登城します。

橋から左側の堀を撮影
橋から右側の堀を撮影

広大な堀です。

海とつながっているため、堀ではスズキやクロダイが見られるそうです。

ちなみに、今治城は日本三大海城です。

再現された野面積石垣と勘兵衛石

大きなお堀を左右に見ながら鉄御門に向かうと、正面にとても大きな石が目に留まりました。この巨石は勢威を示す『鏡石(2.36×4.55×0.61m・16t)』で『勘兵衛石』と伝えられ、城内に保存されていたものを、発掘調査を基に本来の位置の、枡形正面石垣の中に戻されました。

渡辺勘兵衛は今治城の築城奉行を務めた人だそうです。

 

鉄御門(くろがねもん)

平成15年、今治城・開町400年際の記念事業として計画され、平成19年9月に完成しました。

藤堂高虎騎馬像

藤堂高虎は近江の人。羽柴秀長、豊臣秀吉、徳川家康などに仕えた。幾多の戦功などを通じて次第に頭角を現したが、特に後半生の徳川家康の側近となってからは、天下人の参謀としてまた築城家として能力を発揮した。
高虎は江戸城をはじめとして多くの城の縄張を行い、質・量ともに最高の築城家と評価される。

天守

藤堂高虎が五重天守を創建したと伝わり、形状は当時最新鋭の層塔型であったと考えられます。高虎の伊賀・伊勢転封と同時に解体されました。現在の天守は昭和55年(1980)に本丸北隅櫓跡に建てられた模擬天守です。

残念ながら天守だけでなく天守の場所も違っています。

本丸表門

表門から本丸へ

本丸表門
今治城図

↑現在地

 

今治城天守

今回は天守には入らずに(500円)100名城スタンプを頂こうと受付の方に申し出たところ、しぶしぶ貸してもらえました。ただ焦っていたため押印失敗!

ムラになってしまった(ーー;)

№79 日本100名城スタンプ

少々気持ちが落ち込んでしまったが、気を取り直し午後1時00分、今治城を後に近くのゆめタウンで昼食をとって帰路へ。

 

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