【丸岡城】登城記
2010年8月10日(火)
夏季休暇を利用して、現存天守“丸岡城”と一度は宿泊してみたいと思っていた、加賀市の山代温泉“加賀100万石”を訪ねることにしました。それから、以前訪れた金沢も予定に入れました。

午前7時5分、広島発のぞみに乗り、11:01丸岡駅に到着しました。(広島⇒新大阪⇒福井⇒丸岡駅⇒丸岡城)
とても小さな駅です。
タクシーで10分、丸岡城へ。

ここでタクシーを下り、正面の階段から登城します。

昭和9年、国宝に指定された時の碑の説明板です。
天守

-丸岡城-
丸岡は、天正4年(1576年)、柴田勝家の甥の勝豊が丸岡城を築き、城下町を整備したのが都市的起源とされています。
丸岡城は柴田勝豊によって築城され、国の重要文化財です。外観は二層、内部は三層の望楼型天守閣で石垣は”野づら積み”という古い方式で、すき間が多く粗雑な印象ながら排水がよく大雨に崩れる心配がないといわれています。
(丸岡観光協会ホームページより)
登城口から天守までは直ぐでした。

入場チケットを(300円)購入し天守内部へ。
長い石段を登ったところに入り口があります。
天守1階から2階へ


6本の柱で梁を支えていてその上に2階があります。
天守2階から3階へ


今まで訪れた城の中では一番急な階段です!
ロープを持って登ります(ーー;)

昭和23年福井大震災で倒壊した時の写真です。
天守最上階(3階)
天守最上階です。

最上階は四方に窓がありとても眺めが良いです。
突上げ戸が左上に見えます。
地震によって古い町並みはほとんど残っていないそうです。
手前に丸岡城の特色(しゃく谷石)の石瓦が見えます。
約6000枚の瓦はすべて笏谷石(足羽山山麓から産出)1枚20~60kg 屋根全体で120トンにもなります。

これは無理だ!
天守周りを散策
木が邪魔して見難いですが、石落しが見えます。また、石垣は野面積みの乱れ積みです。

霞ヶ城の由来となった井戸
信長が加賀一向一揆を鎮圧し柴田勝豊がここに築城した後、一向一揆の残党が攻撃を仕掛けてくることもしばしばあった。その都度、この井戸から大蛇が現れ城に霞(かすみ)をかけて危機から救った。という伝説から、丸岡城が別名 霞ヶ城と呼ばれる。
天守の周りにも見所はほとんど無く、直ぐに登城を終えました。

現在の内堀は全て埋め立てられ、道路になっているため、天守閣以外の遺構はほとんど残っていません。
往時の丸岡城の復元写真を見ると残念です。
以上で丸岡城登城を終わります。
その後の東尋坊と山代温泉編は〔2〕へつづく