【出石城】登城記
2010年11月20日(土)
最近話題の雲海に浮かぶ城、『竹田城』を見たくて、今回兵庫県の但馬へ出かけました。
11月20日(土)はまず出石城跡と城下町を見て、21日の早朝雲海を見る予定です。

11月20日 12時00分
自宅を出て山陽自動車道、播但道を経て和田山ICで降りたのち、出石へ向かいました。
播但道走行中、正面に竹田城跡の石垣が見えます。
明日はここに登城します。
出石城

午後1時30分 出石城跡に到着しました。
後方の山が有子山城です。
出石城について
1604年(慶長9)、1595年(文禄4)から城主を務めた小出吉英により有子山城の山上の丸および天守部分が廃され、有子山城山麓の郭および館のみを出石城と命名し幕府に居城として届けた。
それにともない平地に、堀で囲まれた三の丸が築かれ、下郭、二の丸、本丸、稲荷丸が階段状に築かれた。城主の居館も成り、このとき城下町も整備され、出石の町並みが形成された。
山上の旧有子山城天守は城割は行われなかったが、幕府を憚り荒れるに任されたため、樹木が生い茂り一見したところ山林となった。なお、一国一城令により、但馬守護山名氏以来の出石城が、但馬国唯一の城郭となっている。

二の丸北側の下の曲輪に立つ門で、手前にあるのは登城橋。
登城橋は谷山川に架かっていますが、往時はここに川は流れていなかったそうです 。


辰鼓楼が見えます。

鳥居を潜って本丸へ向かいます。

石川五右衛門を捕らえたといわれる、仙石権兵衛を祀る神社です。
権兵衛は豊臣秀吉に仕えていたそうです。

模擬復興の西隅櫓で、 本丸跡に復興されています。
城下町散策

辰鼓楼(しんころう)は三の丸中央の追手門脇の櫓台に建てられたもので、当初は太鼓を打つことで時刻を告げていましたが、後に時計台となりました。




そば屋さんが多いです。

赤い土壁が歳月を経て、まるで人の表情のような豊かな味わいを見せてくれます。現在も地酒「楽々鶴」を販売しています。
(NPO法人但馬國出石観光協会ホームページより)

郡役所として明治20年に建造された木造擬洋風建築の貴重な建物です。
家老屋敷

出石城内にあった江戸後期の上級武士(家老級)の居宅です。仙石騒動の中心人物、仙石左京の屋敷があった場所です。
こちらの家老屋敷を訪ねました。
白亜の土塀と長屋門のあるこの屋敷は、出石城内にあった高級武士(家老級)の居宅として使われていたものです。



隠し部屋2階から望む。
家老屋敷を出て再び散策

出石永楽館は、明治34 年に開館した近畿最古の芝居小屋です。
平成20 年に44 年の時を経て蘇りました。歌舞伎など、興行の無い日は一般公開しています。
廻り舞台・奈落など舞台裏も見学できます。

旧藩時代の交通運輸に利用された、旧出石川の大橋東詰めにあった船着場の名残りだそうです。
出石神社

但馬一宮神社として但馬開発の祖神、天日槍と八種の宝が祭られていて、古くは古事記、日本書紀にも名を連ねる、山陰有数の大社です。


但馬一宮神社として但馬開発の祖神、天日槍と八種の宝が祭られていて、古くは古事記、日本書紀にも名を連ねる、山陰有数の大社です。
午後4時00分 出石神社を訪ねた後、今日の宿泊先へ向かいました。