【津山城】登城記

2010年11月21日(土)

午後12時00分 竹田城を登城後津山城へ到着。

津山城復元図

今は復元された備中櫓しか建物は残っていませんが、かつては数多くの櫓や門が存在していたようです。
絵図をみると規模の大きなお城であったことが分かります。

表門登城口

今日は“秋の津山城ご当地グルメフェスティバル”が開催されているため、賑わっています。

↓二の丸から見上げると備中櫓が見えます。

備中櫓

「備中櫓」の名前の由来
池田備中守長幸は鳥取藩主であり、初代津山藩主である森忠政の長女「於松」はこの長幸に嫁いでいます。そして於松が若くして亡くなった後は、忠政4女の「於宮」が長幸に嫁いでいます。つまり、忠政にとって備中守長幸は娘を2人も嫁にやった娘婿にあたる人物なのです。その長幸が津山城を訪れるのを機に造られたとされるのが「備中櫓」であると『森家先代実録』には記載されているのです。
詳しくはこちらのhpをご覧ください。
≫津山市役所/産業経済部観光振興課

表門から登城

弓櫓
台処門

本丸へ入る表鉄門を通らず、台処門へ向かいました。

もみじの小道

ここには“もみじの小道”と呼ばれるもみじの見所があり、紅葉がとても綺麗でした。

東方向町並

本丸

本丸にあるイチョウの木
大戸櫓への石段
大戸櫓

大戸櫓から荒和布櫓、道明寺櫓、干飯櫓跡が見えます。

粟積櫓
矢切櫓
矢切櫓

見事な石垣です。

本丸から天守台へ

天守台

本丸にある天守台へ向かいます。

天守台

天守は破風を持たない穴蔵をもつ地下1階、4重5階の独立型層塔形式で、小倉城を模して造られました。
ただ、天守の巨大さゆえに幕府に目をつけられ、忠政は4重目の瓦を破棄し「あれは庇(ひさし)であって4重である」と言い切り難を逃れたと伝えられています。

備中櫓

備中櫓

天守台から備中櫓が見えます。
二の丸四脚門をみおろす本丸南側に建てられている巨大な櫓で、平成17年に復元されました。

備中櫓内部

城主に近い間柄の女性もしくは、城主の生活空間の一部として用いられていたと考えられています。

城下町散策

津山観光センターで昼食をとった後、町並みを散策しましが、 徒歩で回るには少ししんどいです(-_-;)

寅さんロケ地

「男はつらいよ」の最終作(第48作)ロケ地で、寅さんが津山まつりに露店を出すシーンに使われたそうです。

午後1時30分、津山城登城と城下町を散策お終え、帰路に就きました。

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