日本100名城

概要

関が原合戦後に藤堂高虎が海城として築いた今治城は、海水を取り入れた水堀を曲輪の周囲に巡らせ、舟入には軍船が出入りできた。中心部の本丸、二の丸と海側に高石垣を築いたが、陸側は土塁で防御するたけだった。天守は高虎が転封の際解体され、そ ...

登城記

2010年5月2日(水)
宇和島で宿泊した翌朝、宇和島城を訪ねました。

三の丸御殿跡の登城口より天守を目指します。

本丸まで直線で登る登城道は、距離は短いでのすが、急な坂道を上らなくてはなりません。で、 ...

日本100名城, 現存天守

概要

現在の地に初めて天守が建造されたのは慶長6年(1601)藤堂高虎(とうどうたかとら)築城のときとされています。城の外郭は上から見ると不等辺5角形をしており、随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見受けられます。

デー ...

登城記

2010年5月4日(火)
5月の連休を利用して現存天守「宇和島城」を登城する計画を立てました。
途中、木造で再建された大洲城へ立ち寄より、帰りに今治城を登城予定です。

櫓下御門

自宅を車で出発し午後12時00 ...

日本100名城, 現存天守

概要

大洲城の始まりは、14世紀前半の宇都宮豊房の居城である地蔵ヶ嶽城といわれている。この城を近世城郭に改造したのがは1595年に入城した藤堂高虎といわれている。天守が築かれたのは慶長年間で、城主は脇坂安治の時代である。天守は明治21年 ...

登城記

2010年3月22日
高知城を登城後、香川県にある丸亀城に立ち寄り登城しました。

午後12時00分
丸亀市役所の駐車場に車を停め、丸亀城へ向かいました。

 

5分ほど歩くと ...

日本100名城, 現存天守

概要

丸亀城は高石垣と小さな天守で有名である。この城は生駒氏、山崎氏、京極氏の三氏によって築き続けられ、現在の姿になった。平地から本丸まで四段の高石垣は、全体の高さを合わせると約60m。誰もが圧倒される高さであろう。
現存天守は ...

続日本100名城

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概要

知覧城は、島津氏庶流の佐田氏の拠点として、中世後期に築かれた天険の城で、南九州を代表する中世山城です。佐田氏は近世にも引き続き知覧の領主となっており、近世知覧麓の前身の城として歴史的にも重要です。城跡の特長は、標高約170mのシラ ...

登城記

2010年3月21日-22日 高知、香川 現存天守 1泊2日登城の旅 ~高知城編~

広島から瀬戸大橋を渡り、高知まで行き最初に桂浜の龍馬像を、観に行く予定です。

 

今夜の宿泊先は『三翠園』です。

日本100名城, 現存天守

概要

関が原の戦い後、旧城があった大高坂山に、山内一豊が新たに築いたのが近世城郭の高知城である。山頂に本丸、少し下がった北側に二の丸、東側の一段下に三の丸を配している。本丸と二の丸を分断する掘切部分には詰門が置かれており、南側の廊下門と ...