【岡山城】登城記
2012年5月19日(土)
午前 11時00分 備中高松城より移動し、烏城駐車場に到着しました。

この駐車場は二の丸に辺ります 。
駐車場からも、お堀の向こうに天守閣が見えます。
大手門から登城

さて、私達は駐車場から徒歩で直ぐにある内下馬橋を渡り、大手門(内下馬門)から登城しました。


岡山の市街地の元になった岡山城は、宇喜多秀家が慶長2年(1597)に築城した後、江戸時代には岡山藩の城府となり、明治維新により廃城となりました。
城跡は、大半が市街地となり、本丸も学校用地に転用されて、昭和20年の岡山空襲で天守と石山門が焼失し、月見櫓と西手櫓が現存するだけとなりました。
下の段

大手門から入城して、直ぐに見える石垣は中の段南側の石垣で、その上が大納戸櫓跡です。

鉄門(くろがねもん)へ向かいます。

不明門跡(あかずのもん)が見えます。
鉄門(くろがねもん)跡


1966年(昭和41)に天守とともに再建されました。
表書院から本丸上段へは渡り廊下を使用した為、この門は殆ど使用されなかったそうです。で、不明門と言われました。
中の段から本丸へ

昭和20年6月戦災で焼失。昭和41年に元の位置にコンクリートで再建されました。

礎石のみここに移設されています。

城主自身の生活に必要な建物が建ち並んでいた。

天守入場



今回は訪ねませんでしたが、岡山後楽園は、今から約300年前に岡山藩2代藩主池田綱政が、藩主のやすらぎの場として作らせた庭園だそうです。

本丸中の段

本丸内で唯一現存する櫓

江戸時代初期の隅櫓で重要文化財だそうです。
名前のとおり月の宴を行ったとされ、2階に手すりなどもつくられている。

間取りを地面に表示されています。

表書院の中庭にあった泉水を復元しています。
発掘調査で発見された遺構は地下に保存されているそうです。

宇喜多氏時代の石垣で、城を改造するときに、新たに築かれた外側の石垣に使用されたため、南側の石垣が抜かれているそうです 。

400年前の土が見えるようになっています。
以上で岡山城の登城記を終わります。
この後もう一つの目的、倉敷のアウトレットモールへ行きました。