【江戸城】登城記
2012年8月18日
昨日は箱根観光をした後、小田急ロマンスカーで新宿まで移動しました。
かどやホテルで朝食


午前9時、新宿駅から東京駅へ
午前9時30分 新宿駅から改装されたばかりの東京駅へ来ました。

東京駅から江戸城へ

江戸城へ歩いて向かっている途中、突然の雷雨!
地下の喫茶店で、少し休んで登城することに…。

雨が上がったので、再び江戸城へ向いました。

ところが、
どこから入るの分からず、うろうろしてしまいました。
係りの方に教えてもらい、大手門から登城することに。

大手門から登城




高麗門と櫓門からなる枡形門で、城内最大の門です。(高麗門は現存)


ここには警護の武士たちが詰めており。本丸御殿に向かう人たちに目を光らせていた。警備担当は現在の大久保辺りに住む、軽輩の武士たちであった。
主に登城する大名の共の監視にあたっていました。
ここを籠や馬に乗ったまま通ることができるのは、尾張、紀伊、水戸の御三家だけでした。
中の門

枡形になっていない門です。
中の門の向かいには百人番所があります。

本丸と二の丸へ通じる要所である大手三之門の前に設けられた番所です。鉄砲百人組と呼ばれた、甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組の4組が昼夜交代で詰めていました。各組には同心が100人ずつ配属されていました。

石の表面をのみで削って 模様をつけているそうです。

中の門を入ると大番所がありました。
本丸への最後の番所で、他の番所より位の高い、与力・同心が警備していました。
ここからは大名や旗本であっても乗り物から降りて歩いて登城しなければなりません。

中雀門を通って本丸へ

とても広い本丸です。
忠臣蔵で有名な松の廊下

赤穂浪士討ち入りにつながったことで知られる。
浅野内匠頭長矩の吉良上野介への、刀傷事件のあったところです。
伏見多聞櫓

鉄砲や弓が納められていました。
石室


抜け穴とか、金蔵とか諸説ありますが大奥御納戸の脇という場所柄から、非常の際、大奥用の調度などを納めたとおkろと考えられます。
天守台

家康、秀忠、家光がそれぞれ天守を建設しました。最も大きかったのは家光が造った5重5階地下1階で、高さ44.8mの天守でした。天守の建築史上最も高い天守でした。




天守台から本丸跡を望む

切込み接ぎ(きりこみはぎ) で積み上げられた石垣は大きさ、美しさで圧倒されます。

北詰門を出て、北の丸へ


北詰橋から右手平川濠と左手乾濠を撮影


櫓門と高麗門でなる巨大な枡形門で、江戸時代の遺構です。

北の丸へはこの田安門から入る。

田安門を出て、江戸城の登城を終えました。
江戸城はほんとうに大きな城跡でした。月見櫓を見落としたのは残念でしたが、またの機会に訪れたいです。
午前11時30分
登城を終えた私たちはその足で靖国神社へ向かいました。