吉川元春館跡

概要
吉川元春館跡は、吉川元春が1583年に隠居所として建設を始めた館跡です。1591年に当主であった三男の広家が出雲へ移転したことによって館としての機能を失い、1600年に吉川氏が岩国へ移封された後は完全に廃墟になりました。
データ
所在地 | 広島県山県郡北広島町志路原字海応寺 |
築城年 | 安土桃山時代末期 |
別名 | |
形態 | 城館 |
天守構造 | なし |
主な城主 | 吉川元春、吉川元長、吉川広家 |
主な遺構 | 石垣、曲輪、礎石、土塁、空堀、庭園、井戸 |
主な再建遺構 | 屋敷、庭園、土塁 |
アクセス
所在地 | 広島県山県郡北広島町志路原字海応寺 |
車 | 中国自動車道・千代田IC下りる、国道433号線北へ10分 |
電車 | |
ウェブサイト | 北広島町ホームページ |
駐車場

見どころ
正面石垣

登城記

2018年10月2日(火)
先日(9/27)、北広島町にある吉川氏城館跡のいくつかの遺構を訪ねてみました。
ちなみに、史跡吉川氏城館跡とは、北広島町に分布している、吉川氏に関わる9つの遺跡のことで、その内、小倉山城跡、万徳院跡、吉川元春館跡の3遺跡は歴史公園として整備されています。
最初に訪れたのは、特徴的な石垣が残っている吉川元春館跡です。