【月山富田城】登城記
2013年10月13日
広島市から日帰りで登城できる、未登城の100名城を探すと、島根県にあることを知り、ドライブを兼ねて登城しました。足立美術館の近くです。
午前11時40分 安来市立歴史資料館に到着


歴史資料館に入らず、100名城スタンプのみメモ紙に押してみました。
スタンプ帳が欲しくなりました。

歴史資料館は道の駅と併設されていて、駐車場も広く食事も出来ます。

まず富田城の概要を見て学習します。

富田城は「とだ城」と読みます。

模型を見ると山全体がお城で、登るのが大変そうです!
さて、どこから上るのか登城口を探していたら、学生風の男性が通りかかったので、尋ねてみましたところ…
「そこの道から登ります。30分くらいでしたよ」
「30分??」
もっとかかると思っていたので、意外に感じたのですが、実際は大変でした。

富田城模型の近くに案内板がありました。
午後12時12分、登城開始

午後12時12分 こちらの道より登城を始めました。

右の舗装された道を進むと、直接山中御殿に行くことができますが、まずは手前の千畳平へ行ってみます。
千畳平(太鼓壇)

尼子経紀久の時代に、時刻を知らせたりする太鼓を、吊るした建物があったそうです。

優れた武勇の持ち主で「山陰の麒麟児」の異名を取る。尼子十勇士の筆頭にして、尼子家再興のために「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話は有名である。(ウキペディアより)
花の壇(当時の侍所)

午後12時6分 花の壇へ到着しました。

現在位置です。

一部が復元建設されています。

建物内部は見学できました。

建物内部には顔出し看板がありましたので、記念撮影

花の段から山中御殿へ向かいます。
午後12時14分 山中御殿(さんちゅうごてん)に到着

正面に見える山の頂上辺りが本丸です。

見える石垣は大手門跡です。

こんな山の上に石垣が築かれていることに驚きます 。
御殿平

大手門を上がったところに3000平方メートルあまりの平地があります。ここを御殿平と言い、ここに山中御殿がありました。

現在は登城口から本丸までの中間地点です。

戦国時代攻めるのが最も難しい城として、有名な山城だったようです。

午後12時20分 ここまで要した時間が約20分。
もっともハードと思われる『七曲がり』を登る

山吹井戸


山の中から噴出す井戸から、この名がついたそうです。
山吹井戸から三の丸へ
山吹井戸を確認後、さらに坂道を上ります。

写真がボケボケ
連様は随分先まで登ってます(ーー;)
七曲がり以外には主郭への道は無いそうです。
段築

三の丸の階段状の石垣『段築』を見ることができました。

こちらの坂道を上ったところが二の丸です。
二の丸

二の丸に鳥居がありましたが由来は分らず。

二の丸は長いところで20m、短いところで15mあるそうです。


安来市の町並みが眼下に見えます。

二の丸を一旦出てこの道を通って本丸へ

振り返り二の丸の石垣を撮影。


ここは行きつめたところにあるので別名『つめの丸』というそうです。

本丸の先には勝日高守神社があります。大国主の命が祀られており、尼子時代は代々城内の守り神だったそうです。
午後1時10分、本丸まで登城して下城しました。

午後1時30分、本丸を確認し山中御殿まで戻ってきました。
振り返り本丸を撮影
車が一台停まっている辺りに駐車スペースがわずかにあります。
正面に見える山が先程登った本丸です。
山の麓が山中御殿跡になります。

帰りは緩やかな道を通ってから帰りました。
車で山中御殿の側まで登ることが出来ますが、道幅は狭いです。
道の駅にある食堂『藍』で遅い昼食

下山後、資料館の隣の食堂『藍』で遅い昼食をとりました。
今回の登城は往復約1時間20分掛かりました。
本丸へ登る『七曲がり』は今まで登城したお城では、一番ハードであったと思います。(ーー;)
以上で月山富田城登城記をおわります。