米子城

概要
米子城は、天正19年(1591年)から毛利の一族吉川広家が標高90.5mの湊山を中心に築城を始め、頂上の四重櫓と縄張りを大体つくった。その後、広家は岩国に移されて、慶長5年(1600年)伯耆(ほうき)17.5万石領主中村一忠がさらに規模を拡大し、翌年完成した。城は、頂上の五重天守と四重天守櫓を中心とする本丸に、西北の内膳丸、東の飯山を控え、山すその二の丸を領主の館とし、その下の三の丸には内堀にかこまれて作事場、米蔵、馬小屋などを建てた。また、裏側には、深浦湾にのぞむ水軍用の曲輪をつくった。三の丸をこえた内堀と外堀の間は、侍屋敷であった。
城主は、中村氏以後、加藤貞秦、池田由成、そして、寛永から明治維新まで、鳥取藩主席家老荒尾氏が十一代続いたが、その後間もなく米子の住人が買い取り、取り壊してしまった。
(本丸跡にある説明板より)
データ
所在地 | 鳥取県米子市久米町102-4 |
築城年 | 文明2年頃(1470) |
別名 | 久米城、湊山金城 |
形態 | 梯郭式平山城 |
天守構造 | 独立式望楼型4重5階) |
主な城主 | 山名氏、尼子氏、吉川氏、中村氏、加藤氏、池田氏 |
主な遺構 | 石垣 |
アクセス
所在地 | 鳥取県米子市久米町102-4 |
車 | 安来道路 米子西ICより10分 |
電車 | 山陰本線米子駅から徒歩16分 |
ウェブサイト | 米子市ホームページ |
駐車場

登城記

2015年4月11日(日)
午後1時、松江より約40分で米子城二の丸枡形門前に到着しました。