会津若松城

概要
黒川城と呼ばれる前身の城は中世にあったとされるが、蒲生氏郷が会津に入り、1592年に92万石の大大名として七重天守のそびえる近世城郭へ大改修を行い、名も会津若松城へ改める。のち、加藤明成が会津に入り、層塔型の五重天守を築き、様々な技法を駆使して石垣を積み上げて、東北に比類なき堅城とした。やがて幕末に至り、戊辰戦争の激戦を戦い抜いた悲劇の城である。
データ
所在地 | 福島県会津若松市追手門町1-1 |
築城年 | 永徳4年(1384) |
別名 | 鶴ヶ城、会津若松城、黒川城 |
形態 | 梯郭式平山城 |
天守構造 | 望楼型7重不明(1593年(文禄2年)築) 層塔型5重5階地下2階(1611年(慶長16年)改) 層塔型5重5階(RC造 1965年(昭和40年)外観復興) |
主な城主 | 黒川城 蘆名氏、伊達氏 若松城蒲生氏、上杉氏、加藤氏、保科氏・会津松平家 |
主な遺構 | 石垣、土塁、堀 |
主な再建造物 | 天守・門・櫓・長屋 |
アクセス
所在地 | 福島県会津若松市追手門町1-1 |
車 | 東北道→東北自動車道→郡山JCT→磐越自動車道/新潟方面→会津若松IC下車 |
電車 | 東京駅→(東北新幹線/90分)→郡山駅下車(磐越西線/60分)→会津若松駅下車 |
ウェブサイト | 会津若松観光ビューロー |
駐車場


西出丸駐車場:普200台収容可 [地図]
東口駐車場:普129台収容可 [地図]
南口駐車場:普35台収納能 [地図]
※いずれも有料
スタンプ設置所
天守閣内売店


出口側から入場すれば無料で押印できます。
見どころ
武者走の石段

本丸帯曲輪の太鼓門への緊急出動用。
鉄門(くろがねもん)

本丸帯曲輪から本丸の奥御殿に通じる多聞櫓門。扉、柱が鉄で包まれていたことから鉄門と称される。
周辺観光スポット
白虎隊自刃の地「飯森山」

ここには、白虎隊十九士の墓、各地で戦死した三十一士の墓や、イタリア並びにドイツから贈られた記念碑、さざえ堂、宇賀神堂、厳島神社、白虎隊引揚の洞門、市天然記念物の太夫桜など、数多くの神話、史跡名所が残っております。
さざえ堂

寛政8年(1796)郁堂和尚が考案建立したもので六角三層高さ約16m、昇降別々のらせん形通路により階段が無く一方通行で上下するという日本唯一、世界にも例のない名建築とされている。
五色沼

五色沼は磐梯山が明治21年の噴火の際生じた岩なだれ(山体崩壊)によるせき止めで誕生した。
これらの沼の多くは磐梯山の火山活動によって生じる硫化水素が多量に溶け込んでいる水により、酸性になっている沼もいくつかある。
阿弥陀寺の御三階

元は鶴ヶ城本丸にあったもので、明治3年に移築され本堂として使用されていた。
内部は4層で、秘密の会議が行われたといわれている。
会津藩校「日新館」

元々の日新館は鶴ヶ城の西側に在ったが、戊辰戦争で消失。
現在の日新館は昭和62年に今の場所に復元されたもの。
登城記

8月14日(日)
午前7時30分、今日は朝一戊辰戦争でも落城しなかった100名城「会津若松城」(鶴ヶ城)へ登城するため、早々にチェックアウトを済ませました。