伏見城

目次
概要
伏見城は秀吉の築いた指月伏見城、木幡山城(こわたやまじょう)と、関ヶ原以後に家康が再建した三つの城があります。
秀吉の死後豊臣秀頼が大阪城に移ると、代わって徳川家康がこの城に入り政務を行いました。関ヶ原の戦いの際には、家康の家臣である鳥居元忠らが伏見城を守っていましたが落城。建物の大半が焼失しました。
焼失した伏見城は1602年ごろ家康によって再建され、1619年に廃城とされました。この時、建物や部材は、二条城、淀城、福山城などに移築されました。
データ
所在地 | 京都府京都市伏見区桃山町大蔵45 |
築城年 | 1592年(文禄元年) |
別名 | 桃山城、指月城、木幡山城 石 |
形態 | 梯郭式平山城 |
天守構造 | 不明(指月山・1592年築) (木幡山・1596年築/1601年再) 複合式望楼型5重6階(RC造模擬・1964年築) |
主な城主 | 豊臣秀吉 |
主な遺構 | 移築門、石垣、堀 |
主な再建造物 | 模擬天守 |
アクセス
所在地 | 京都府京都市伏見区桃山町大蔵45 |
車 | |
電車 | JR奈良線「桃山駅」 徒歩15分 |
ウェブサイト | 京都デザイン |
駐車場

見どころ
伏見北堀
正面に見える広場、テニスコートも堀跡で、幅は100mあった。
今ある池は以前水源地として使用されていた名残。
周辺観光スポット
カッパカントリー

「酒蔵通り」にカッパカントリー。
お酒が飲めたり、食事が出来る。 ≫黄桜カッパカントリーhp
会津藩駐屯地跡

幕末、「鳥羽伏見の戦い」の前日に、会津藩約200名がこちらの伏見御堂に、宿陣した。
源空寺 山門

二層からなる珍しい山門は、伏見城から移築された遺構といわれている。
寺田屋
坂本龍馬(1835~67)も伏見奉行所の捕方に襲われた船宿。 地図⇒
登城記

2016年10月2日(日)
午前11時、醍醐寺から伏見城へ到着