水城

概要
七世紀後半の朝鮮半島では国の存亡をかけた戦いがくり広げられました。新羅は唐と結んで百済や高句麗を滅ぼしました。当時の日本は百済を助けるため大軍を送りましたが、西暦663年白村江の戦いで新羅・唐の連合軍に敗れました。その後、我が国では朝鮮半島に最も近い福岡平野に大野城や基肄(きい)城が築かれ、防人が置かれる事態となりました。そのような中で西暦664年に水城が築造されました。
-太宰府市教育委員会パンフレットより-
データ
所在地 | 福岡県太宰府市水城 |
築城年 | 天智天皇3年(664年) |
別名 | – |
形態 | 古代の城 |
天守構造 | – |
主な城主 | – |
主な遺構 | 土塁・城門跡・外濠跡 |
アクセス
所在地 | 福岡県太宰府市水城 |
車 | 九州自動車道 : 太宰府I.Cから 約6Km 筑紫野I.Cから 約5Km |
電車 | JR二日市駅から : タクシ-で約15分 西鉄福岡駅(天神)から : 西鉄大牟田線で約30分 |
ウェブサイト | 大宰府観光協会 |
駐車場

見どころ
特別史跡 水城跡 土塁断面広場

姿見井(鏡池)

昌泰4(901)年1月25日、右大臣であった菅原道真は、大宰権帥(だざいのごんのそち)に任命され、大宰府に来ることになりました。道真は水城の東門から大宰府に入り、この付近で衣服を着替えたと伝えられています。その時、自分に姿を映した井戸(池)が、この井戸と伝えられ、のちに姿見井(姿見池)や鏡池と呼ばれるようになりました。
登城記

2017年4月30日(日)
午後1時、久留米城跡から水城(みずき)跡へ向かいました。
本来なら45分くらいで到着できる予定でしたが、途中で昼食をとったり、道に迷ったりしたため、ふるさと水城跡公園へ到着したのは午後2時40分でした。
登城記を読む≫続日本100名城めぐり…【水城】