多賀城

概要
多賀城は奈良時代に陸奥国の国府および、鎮守府(※1)が置かれた律令国家(※2)の行政、軍事の拠点である。約900m四方に築地がめぐり、中央に重要な政務儀式をおこなう政庁があった。
その周囲には行政実務を担う役所や兵舎、工房などが配置されていた。平安時代になると城外に道路により区画された街並みが形成され、それから、国司の邸宅などが発見されている。 -日本城郭協会「日本100名城へ行こう」より-
データ
所在地 | 宮城県多賀城市市川大畑16 |
築城年 | 神亀元年(724) |
別名 | |
形態 | 城柵 |
天守構造 | |
主な城主 | |
主な遺構 | 政庁跡、城碑 |
主な再建造物 | 塀 |
アクセス
所在地 | 宮城県多賀城市市川大畑16 |
車 | 東北自動車道宮城インターより約15分 三陸自動車道・多賀城IC |
電車 | JR東北本線・国府多賀城駅より政庁跡まで徒歩約10分 |
ウェブサイト | 多賀城市観光協会サイト |
駐車場

無料 20台
スタンプ設置所
多賀城跡管理事務所(無料 利用時間 9:00~16:00 )


見どころ
政庁南大路跡(多賀城南門と政庁を結ぶ道路)

多賀城の正門である外郭南門から、中枢部である政庁まで、南北にまっすぐ通じる道路で、多賀城の中でも最も重要な道路です。
道路には排水用の暗渠も設置されており、多数の木簡がみつかっています。
政庁正殿跡

一辺約100mの築地塀で囲われ、重要な政務や儀式が行われていたところ。
日本三古碑

「壷碑」(つぼのいしぶみ)とも呼ばれ、日本三古碑の一つです。
従来偽物説がありましたが、近年本物であることが確定し、重要文化財に指定されました。
724年に多賀城が大野東人によって創建され、762年に藤原朝狩によって修造されたことを記しており、他の文献にはない貴重な情報を伝えています。
登城記

2017年8月17日(木)
午後2時40分、世界遺産・平泉を観た後、本日最後の目的地日本100名城「多賀城」へ向かいました。
登城記を読む≫日本100名城めぐり…【多賀城】