鞆城

目次
概要
「ここは鞆城の本丸跡で、丘陵を利用して壮大な二の丸・三の丸が築かれ、東端は福禅寺、北端は沼名前神社参道、南は港に面していた。毛利氏が築いた城を、慶長5年(1600年)安芸・備後の領主となった福島正則が修築した。慶長12年(1607年)の朝鮮通信使の日記に「岸上に新しく石城を築き、将来防備する砦のようだが未完成である。」と記しており、その時、建設中だったことが知られる。
元和元年(1615年)の一国一城令に先立って廃城となり、正則の跡を受けて入封して水野勝成は、長子勝俊の居館を三の丸に置いた。勝俊が福山藩主となって以後は、江戸時代を通して町奉行所が置かれた。」室町幕府最後の将軍「足利義昭」が、織田信長に追われて京都から鞆の浦へ移り住み、この鞆城を居所としたと言われている。-現地説明板-
データ
所在地 | 広島県福山市鞆町後地536 |
築城年 | 天文年間(1532~55年) |
別名 | 鞆要害 |
形態 | 平山城 |
天守構造 | 3重3階 |
主な城主 | 毛利氏、足利義昭、福島氏 |
主な遺構 | 曲輪、石垣 |
アクセス
所在地 | 広島県福山市鞆町後地536 |
車 | |
電車 | JR福山駅より鞆鉄バスにて「鞆の浦」下車、徒歩約5分 |
ウェブサイト | 鞆物語 鞆歴史民俗資料館 |
駐車場

鞆の浦には観光駐車場が3ヶ所あり。
この駐車場は古い町並みの中心に位置し、鞆城跡に最も近いところにあるので便利。
見どころ
鞆城の石垣と刻印

石垣には「回・大・△」などの刻印が確認できる。
周辺観光地
龍馬の隠れ部屋 桝屋清衛門宅
天井の一カ所のみ開閉が可能となっていて、板が閉じられていれば、上階に部屋があることはわからない。
上がるには取り外し出来る梯子を使っていた。
鞆の商家には、商談や密談などのため、隠れ部屋がいくつか残っている。
対潮楼
朝鮮通信使が「日東第一形勝(日の昇る東の国で一番の景色である)」と賞賛し、「對潮楼」と命名した。
名物・名産
鯛めし
登城記

2017年11月26日(日)
午後12時30分、「鞆の浦歴史民俗資料館」に最も近くにある有料駐車場に到着しました。
登城記を読む≫鞆の浦…【鞆城】