佐和山城

概要
彦根駅の北側、佐和山(232.5m)にある城跡です。不破(ふわ)の関があった関ケ原(せきがはら)に近く、交通の要衝でした。
近江守護佐々木氏によって築城され、天正18年(1590)石田三成(いしだみつなり)(1560-1600)が、佐和山城主となってから、5層の天守を構え、鳥居本(とりいもと)を大手とする立派な城だったといわれます。
三成が関ケ原の戦いで破れた後、井伊直政(なおまさ)が新しい城主になりましたが、慶長11年(1606)、彦根城築城にともない廃城になりました。
建築物の多くは彦根城や麓にある清凉寺(せいりょうじ)、龍潭寺(りょうたんじ)に移築転用され、現在では佐和山城を偲ぶものは、山腹の石田群霊碑だけとなっています。また、山頂からは琵琶湖や比良山系が一望のもとに見わたせます。 ー公益社団法人びわこビジターズビューローHPよりー
データ
所在地 | 滋賀県彦根市佐和山町・鳥居本町 |
築城年 | 鎌倉時代 |
別名 | – |
形態 | 連郭式山城 |
天守構造 | 五層(三層説あり。非現存) |
主な城主 | 佐保氏、小川氏、磯野氏、丹羽氏、石田氏、井伊氏 |
主な遺構 | 石垣、土塁、堀、曲輪、ほか |
アクセス
所在地 | 滋賀県彦根市佐和山町・鳥居本町 |
車 | |
電車 | JR琵琶湖線 「彦根駅」 下車 徒歩 50分 |
ウェブサイト | 公益社団法人びわこビジターズビューロー |
駐車場


見どころ
石田三成銅像

人気がある武将だけに、この像の前で涙するファンも居るとのこと。(ボランティアガイドさんの話)
天守台跡

天守はこの辺りにあったと思われている。
二度と使用できないよう破壊されたので、天守のあった場所も削り取られている。
石垣

昭和になってから見つかった、天守台の石垣(基礎部分)。
隅石が算木積みとなっているので、天守台の石垣と思われる。
千貫井
岩盤をくり貫いて造られている。
今は雨水が溜まっているが、当時は岩の隙間から湧水が出ていた。
千貫にも値する貴重な井戸という意味。
女郎谷
佐和山城が落城したとき、城内に居た女性や子供が身を投げたといわれる谷。
谷といっても飛び込めるほどの崖ではない。
登城記

2016年9月24日(土)
午前8時、ホテルをチェックアウトし駐車場へ出ると、正面に佐和山が見えました。
頂上がすこし平らに見えますが、あそこが本丸でしょうか?
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