勝龍寺城

概要
勝龍寺城は暦応2年(1339)、足利尊氏の命により細川頼春によって築城されました。 天正6年(1578)、明智光秀の娘、玉(後のガラシャ夫人)が、細川忠興に嫁ぎ、2年間、この城で幸福な新婚時代を過ごしました。
本能寺の変の後、山崎の合戦では光秀がこの城に本陣を構えました。-長岡京市観光協会HPより-
データ
所在地 | 長岡京市勝龍寺13-1 |
築城年 | 室町時代か延元4年/暦応2年(1339年) |
別名 | 小竜寺城 |
形態 | 梯郭式平城 |
天守構造 | 天守に相当する高層建築物が存在していた |
主な城主 | 細川氏、永井氏、他 |
主な遺構 | 土塁、空堀、等 |
主な再建造物 | 模擬石垣、櫓 |
アクセス
所在地 | 長岡京市勝龍寺13-1 |
車 | |
電車 | JR長岡京駅から700m(徒歩10分) |
ウェブサイト | 長岡京市観光協会 |
駐車場

見どころ
細川忠興・玉(ガラシャ)像

明智光秀の娘で、本名を玉といい、天正6年(1578)に勝龍寺城の細川忠興のもとへ嫁いだ。
天正10年に父光秀が本能寺の変を起こしたため、2年ほど丹後の未土野に幽閉され、のちに心の平安をキリスト教に求め、洗礼を受けてガラシャと呼ばれるようになった。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで、石田三成の人質になるのを拒み、悲劇的な最期を遂げた。
登城記

2016年9月24日(土)
-勝龍寺城-
勝龍寺城は暦応2年(1339)、足利尊氏の命により細川頼春によって築城されました。
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