志苔館

志苔館跡は、函館市の中心部から約9km離れた標高25m程の海岸段丘南端部に位置している。
西側には志海苔川が流れ、南側は志海苔の市街地および津軽海峡に面し、函館市街や対岸の下北半島を一望することができる。-現地説明板-
松前城

福山城(松前城)は松前町福山の台地に築かれた平山城で、近世に築城された北海道唯一の城郭である。
松前家五世慶広が、天正17年(1589)徳山(大館)の居館焼失を機に、慶長5年(1600)福山の地で築城に着手し、同11年(1 ...
多賀城

多賀城は奈良時代に陸奥国の国府および、鎮守府(※1)が置かれた律令国家(※2)の行政、軍事の拠点である。約900m四方に築地がめぐり、中央に重要な政務儀式をおこなう政庁があった。
その周囲には行政実務を担う役所や兵舎、工房 ...
仙台城

仙台城は、初代仙台藩主伊達正宗によって造営され、慶長7年(1602)には一応の完成をみたとされています。
城は、東と南が広瀬川と竜の口渓谷の断崖、西が険しい山に囲まれた天然の要害で、石垣は主に本丸の周りに築かれました。
山形城

山形城は、山形へ入部した斯波兼頼(しばかねより)が延文2年(1357)に築城したものと伝えられています。これを最も大きい規模に構築したのが山形城主最上義光で、57万石といわれる領地を獲得した慶長6年(1601)以降のことと考えられ ...
若桜鬼ヶ城

若桜鬼ヶ城は播磨、但馬へつながる交通の要衝にある。そのため、戦国時代において戦国大名である毛利、尼子、織田などによる争奪戦がくり広げられた。築城時期は不明だが、延徳元年(1489)の資料には「矢部館若狭」の記述があり、矢部氏によ ...
太閤ヶ平

天正9年(1581)、羽柴秀吉の包囲作戦と吉川義家の籠城とによる対陣は、鳥取城の歴史の中で最大の攻防戦であった。この戦いは、天下統一をめざして中国地方を征討しようとする織田信長とこれを阻止しようとする中国地方の雄毛利氏との対立の中 ...
三原城

瀬戸内の水軍の動向を把握していた小早川隆景により、1567年から築城が始まった。沼田川河口の三原湾に浮かぶ大島、小島をつないだ城は当時、その姿が海に浮いたように見えたことから「浮城」と呼ばれた。
かつての城は東西の距離が約 ...
新高山

鎌倉・室町時代を通じて沼田小早川氏が本拠地とした山城は、沼田川対岸の高山城でしたが、沼田小早川を継いだ隆景は、これまで高山城の福塁であった新高山城の大改修を行い、天文21年(1522)ここに本拠を移した。
以来毛利元就の三 ...
水城

七世紀後半の朝鮮半島では国の存亡をかけた戦いがくり広げられました。新羅は唐と結んで百済や高句麗を滅ぼしました。当時の日本は百済を助けるため大軍を送りましたが、西暦663年白村江の戦いで新羅・唐の連合軍に敗れました。その後、我が国で ...