山口城

山口城は、周防国の山口(現在の山口県山口市滝町)にあった日本の 城跡である。山口屋形・山口政庁・山口政事堂などとも呼ばれていた。表門(旧山口藩庁 門)など一部が現存する。
データ所在地 山口県山口市滝町築城年 元治元年(18 ...春日山城

戦国の名将・上杉謙信公の城として今も天下にその名をとどろかせている春日山城は、越後守護上杉氏が戦時のために築いた城で、今の県庁にあたる守護所から約4kmの位置にあり、関東・信濃・北陸へ往来が一目で監視でき、守護代長尾氏が守護所と連 ...
新発田城

上杉謙信の重臣新発田重家の居城だったが、後年、入封した溝口秀勝と子孫が近世城郭と変貌させた城である。
一番のみどころは旧二の丸隅櫓とともに国の重要文化財に指定されている表門(二階建の櫓門)。下半分は海鼠壁とし、櫓の床には石 ...
浜田城

浜田城は別名「亀山城」とも呼ばれる標高67メートルの平山城で、北は松原湾をかいして日本海を望み、南から西にかけては浜田川によって囲まれています。
元和5年(1619)に伊勢(三重県)松坂から古田重治が5万4千石余の浜田藩主 ...
座喜味城

座喜味城は15世紀の初頭築城家としても名高い護佐丸によって築かれたと言われている。
標高120mの丘に築かれ2つの郭からなる連郭式の形態になっていおり、それぞれの郭入口にアーチ門がある。
勝連城

勝連城は15世紀、海外貿易により勝連に繁栄をもたらした阿麻和利(あまわり)が居城した城です。
天下統一を目指した阿麻和利は護佐丸(中城城主)を倒し、王府打倒へ動きだしたのですが、王府軍によって滅ぼされました。
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今帰仁城

今帰仁城は沖縄本島北部の標高100mのほぼ独立した丘上にある。怕尼芝(はねじ)らは北山王を称してこの地を統治していたが、中山王尚(ちゅうざんおうしょう)氏によって滅ぼされ、その後、薩摩軍に攻められ炎上、廃城となった。「百曲り」(も ...
中城城

中城城跡は、中城村と北中城村にまたがり東北から南西にほぼ一直線に伸びた標高150m~170mの石灰岩丘陵上の縁辺部に立地する山城で、南東側は15m以上の切り立った断崖、北西側は勾配のきつい傾斜面となっているため城内に至るには正門や ...
首里城

現在見られる城の基本的縄張は尚真王(しょうしんおう)と尚清王の時代(1477-1555)である。正殿を中心とする御庭(うなー)が最大のみどころ。御庭は謁見や祭祀の儀式がおこなわれる場所で、それを囲むように北殿、南殿、番所、奉神門 ...
名古屋城

戦国時代、尾張今川氏と織田氏の居城、那古野城の上に建てられたのが、今の名古屋城である。徳川家康が大坂城を包囲するために築いたと解されている。家康は天下普請で天守・小天守を中心に多くの櫓・城門を設けた、最大・最強の近世城郭を完成され ...