七尾城

七尾城は能登守護畠山氏の居城で、七代目の義総が整備を進めた。その後、上杉謙信に攻められ落城。謙信はこの城から望む七尾湾の眺望をこよなく愛でたという。謙信の死後、前田利家が織田信長に宛がわれて入城した。利家は七尾城を修築するととも ...
米子城

米子城は、天正19年(1591年)から毛利の一族吉川広家が標高90.5mの湊山を中心に築城を始め、頂上の四重櫓と縄張りを大体つくった。その後、広家は岩国に移されて、慶長5年(1600年)伯耆(ほうき)17.5万石領主中村一忠がさ ...
明石城

明石城は大阪夏の陣で豊臣氏が滅び、一国一城令が下されてから4年後に完成したお城です。
築城者は小笠原忠真ですが、築城を命じたのは二代将軍徳川秀忠でした。
西国諸藩に対する備えとして築城されました。
飫肥城

島津氏と伊東氏の役25年にわたる争奪戦を経て、天正16年(1588)伊東氏が城主となる。近世城郭の体裁が整ったのは、その100年後の伊東祐実の大改修以降である。城は本丸、中の丸、松尾の丸など、多くの曲輪に分かれていた。城域がシラ ...
鹿児島城

概要
城山東麓に島津家久が築いた平城である。本丸と二の丸を連郭式に並べ、石垣と堀で囲んだだけの簡素な城であった。御楼門、御隅櫓を備えたが、天守は無かった。大大名とは思えぬ、中世の居館のようになった理由はさまざまあげられて ...
人吉城

人吉城は鎌倉時代から江戸時代の終わりまでこの地を治めた相良氏の居城と伝わる。梯郭式平山城であり、水運を利用するため、球磨川と胸川を外堀に見立てて石垣を築き、多くの船着場が設けられていた。幕末になると、石部石垣は上部に石材が突き出す ...
岡崎城

岡崎城の起源は15世紀前半までさかのぼる。名大寺の地に西郷頼嗣によって築城されたのがそのはじまりである。その後、亨禄4年(1531)に松平清康(家康の祖父)が現在の位置に移して以来、ここが岡崎城と称されるようになった。
長篠城

武田信玄の後を継いだ勝頼は天正3年(1575)5月、15000人の軍を率いて長篠城を囲んだ。城主奥平貞昌は500人の城兵と共にこれをよく防ぎ、また、鳥居強右衛門等の決死の働きでもちこたえた。織田・徳川連合軍38000人は設楽原に ...
石垣山城

石垣山は、もと笠懸山、松山などと呼ばれていましたが、天正18(1590)年豊臣秀吉が小田原北条氏の本拠小田原城を水陸合わせて約22万の大軍を率いて包囲した小田原合戦のとき、その本営として総石垣の城を築いて石垣山と呼ばれるようになり ...
山中城

山中城は、戦国時代末期の永禄年間(1560年代)に、小田原に本城を築いた後北条氏が築城しました。
その後天正17年豊臣秀吉と不仲となった北条氏政は、秀吉の小田原攻めに備え急遽堀や岱崎丸等の整備、増築を行いました。しかし翌天 ...