日本100名城

概要

掛川城は戦国大名今川氏の重臣朝比奈氏の居城であった。今川氏の滅亡後、徳川家康の家臣が入城したが、家康が関東に移ると、豊臣秀吉配下の山内一豊が入封した。一豊はこの城を中世の城から三重の天守をもつ近代城郭へと大々的に改修した。現在残る ...

日本100名城

概要

少年期に今川氏の人質として過ごした駿府に徳川家康が戻ってきたのは、秀忠に将軍職を譲り、大御所となった慶長11年(1606)である。家康は西国の外様大名を動員し、先年改修した城を三重の堀と二つの曲輪が本丸を囲む輪郭式の城に改築した。 ...

日本100名城

概要

主郭・西曲輪を囲む広い水堀が一番の見どころだが、西曲輪の南北にある武田氏特有の枡形虎口や大手東側には武田氏滅亡後、総掘と土塁で囲まれた曲輪が造られており、現在は土塁と堀が復元されている。中曲輪北西隅に豊臣期に造られた天守台があるが ...

日本100名城

概要

甲府城は一条小山の地に天下統一をとげた豊臣秀吉が羽柴秀勝や加藤光秦を送り込み築城を開始。その後浅野長政・幸長父子が拡張して一応の完成をみたようである。関が原合戦後、徳川家康は一門のための城とし、後年、柳沢吉保が城主となってさらに城 ...

日本100名城

概要

小諸城の前身は大井氏の鍋蓋城と支城乙女城である。武田信玄が領有して縄張を拡充し今に残る城郭の基本形が出来た。豊臣政権成立後、入封した仙石秀久・忠政父子二代が三重の天守をあげ、大手門、三の門などを建造して近世城郭に改修した。城は千曲 ...

日本100名城

概要

真田氏の城として有名だが、現在見られる櫓、堀、石垣に大改修したのは仙石氏である。かつては七棟あった本丸の櫓のうち現存すのは西櫓、南櫓、北櫓の三棟。いずれも下見板張り、二重二階で規模も同じである。尼ヶ淵から仰いでみるものよい。本丸の ...

日本100名城

概要

松代城は武田信玄が北信濃を支配するために築いた海津城が前身である。川中島合戦で著名なこの城には、武田氏滅亡後、織田・上杉・豊臣・徳川各氏の家臣がつぎつぎと入城した。元和八年(1622)、真田信之が入封、三代藩主幸道のときに松代城と ...

日本100名城, 現存天守

概要

黒漆塗りの下見板張りの天守群はどの角度から見ても美しい。天守と乾小天守のある石垣造りの近世城郭に改築したのは石川教正・康長父子だ。本丸正門の復元された黒門は侵入者が直進できない枡形門で、一の万が櫓門、二の門は高麗門になっている。藩 ...

日本100名城

概要

高遠頼継を攻略した武田信玄が改修した城である。後年、勝頼の弟仁科信盛が城主となるが、織田信長軍に攻められ落城。江戸時代は徳川氏の譜代大名の居城となった。城は三峰川の断崖を背にした本丸を二の丸、三の丸が半円状に囲む後堅固の縄張であり ...

日本100名城

概要

標高717mの日本一高い地に築かれた城である。高取城、備中松山城とともに日本三山城といわれている。遠山氏の居城だったが、戦国時代に織田信長の家臣河尻秀隆・森長可、江戸時代に松平氏・丹羽氏が城主となり改修築。城は山頂・山腹に多くの曲 ...