撫川城

概要
撫川城は泥沼の地に築かれた典型的な「沼城」です。
城の平面形状は、東西七十七メートル、南北五十七メートルの長方形を示し、幅十五メートルの濠がぐるりと巡っています。
西半に高さ四メートルの高石垣(野面積み)と東には土塁が現存しています。また、北西隅には、櫓台と思われる石垣の張り出しが見られます。
この城は永禄二(1559)年に備中成羽城主三村家親が、備前の宇喜多直家の侵攻に備えて築城したといわれています。
備中高松の役(天正十年)には毛利方の国境防備の城「境目七城」の一つとなり、当時の城主井上有景と秀吉軍との間で激戦が交わされました。その後は宇喜多の支配下となり廃城となりましたが、江戸時代に戸川氏の領とするところとなりました。
戸川氏は安風(四代目)で断絶しますが、その弟達富(みちとみ)が撫川領分を継ぎ「庭瀬城」の本丸・二の丸に知行所を設けました。
撫川城跡と庭瀬城跡とに呼び分けられていますが、もともとは一体の城だったのです。-現地説明板-
データ
所在地 | 岡山県岡山市北区撫川423 |
築城年 | 永禄2年(1395年) |
別名 | 撫川陣屋 |
形態 | 平城 |
天守構造 | なし |
主な城主 | 井上就正、戸川達冨 |
主な遺構 | 石垣、堀、知行所総門 |
アクセス
所在地 | 岡山県岡山市北区撫川423 |
車 | 山陽自動車道 早島IC 28分 |
電車 | JR庭瀬駅 徒歩10分 |
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駐車場

見どころ
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登城記