【福井城】登城記
2013年9月14日(土)
午後2時10分
金沢城から北陸自動車道を使って、約1時間30分で福井城に到着。
本来柴田勝家の北の庄城が目的でしたが、福井城があることを知り登城してみることにしました。

本丸跡には県庁と警察本部があり、遺構としては天守台跡と石垣、井戸などが残っているのみでした。
休日でしたが、お城を見させてくださいと県庁の警備の方に告げると、駐車の案内と福井城などのパンフレットを下さいました。
福井城

散策路が設置されていましたので、石垣の上を散策できました。

大きな堀です。




初代藩主結城秀康が約6年掛けて4層5階の天守を築城しましたが、寛文9年4月の大火で消失した以来再建されませんでした。


御廊下橋は、藩主が本丸と三の丸御座所への往復に用いた藩主専用の橋で、築城400年を記念して復元されました。



この控天守台跡の石垣には福井震災(1948年6月)等による崩壊の跡が残っています。

天守跡には『福の井』と呼ばれる井戸跡が残っており、この井戸が福井の名の起こりという説があります。
北ノ庄城
午後2時20分 福井城を後にして、目的の北ノ庄城へ向かいました。
しかし、ナビで北ノ庄城が設定できず、なかなか目的地にたどり着けませんでした。(ーー;)
あとで調べると柴田神社で検索すると登録がありました。
迷いながら午後3時16分、北ノ庄城跡にやっと到着。
商店街の駐車場に車を停めましたが、幹線道路(城の橋通り)沿いに城跡はありました。

朝倉氏の滅亡後、越前を支配していた一向一揆を平定した功績によって、越前国北ノ庄を与えられた柴田勝家が、天正3年(1575年)に自らの縄張りによって築城を開始する。同11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いに勝家が敗れ、妻・市と共に自害すると城にも火が放たれ、建造物のほぼ全てが焼失する(Wikipediaより)





北の庄城跡は石垣の一部しか遺構が残っていませんでしたが、 大河ドラマで登場した柴田勝家とお市の方に興味があったので、訪れてよかったです。
さて、思った以上に福井で時間を使ってしまった為、急いで一乗谷へ向かいました。
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