【津城】登城記
2013年11月1日(金)
午後8時、仕事を終えて帰宅後、直ぐに伊勢神宮に向け車で出発しました。
もともと1泊で和歌山城へ行こうと計画していましたが、20年に一度の伊勢神宮式年遷宮のニュースを見て、もう二度と見ることが出来ないのではと思い、急遽計画を変更しました。
そして、三重県には100名城『松阪城』『伊賀上野城』があることを知り、この際併せて登城しよと決めました。
とてもハードな計画なので、予定どおり辿りつけるのか心配です。
伊勢神宮参拝
自宅から山陽道、中国道、新名神、伊勢道と高速を乗り継ぎ伊勢に向かいましたが、日付が変わろうとする頃になると、睡魔に勝てずPAで仮眠することにしました。
寒かった~(-_-;)

11月2日、PAより内宮近くの「内宮A4駐車場」へ無事到着!
午前6時、宇治橋前で記念撮影。

こちらの川原で手を洗い社殿に向かいます。

辺りはまだ暗いのに、すでに参拝客がけっこう居ます。

新しくなった社殿にまずお参り。
今回は向かって左側でした。
天照大御神が祀られています。

前回お参りした旧社殿が見えます。

向こうに見える橋が宇治橋です。
おかげ横丁

お店は9時30分からのため、閉まっています。

午前8時25分 おかげ横丁の店はまだ閉まっていましが、有名な赤福のお店は既に開店していました。


内宮をお参りした後でもまだ8時前のため、開いているお店はまばらでした。
お店が開いていたので有名な赤福を頂き、せっかくなので露店で売られていた、松阪牛(と思われる)コロッケも食べました。
午前8時45分、伊勢神宮を後にし、津城へ向かいました。
津城
午前10時00分 津市役所の駐車場に到着。

係員にお城へ行くことを伝えると、無料でした。
横断歩道を渡り二の丸側から登城しましたが、これが失敗のもとでした。石垣のみで建物は全く無いと思っていたら、模擬櫓があったことを後で知りました。反対の東の丸から登城すれば直ぐに気づいたはず。もともと大河ドラマ『江』で、お市と3姉妹が信長の弟、織田信包に、一時期預けられていたと聞いて、登城することにしたのですが、どうも本当は清洲城であったとの説が正しいようです。

堀の先に本丸の石垣がみえます。
当時の堀はもっと幅広かったようです。

西の丸から登城


入口にあった説明板の縄張図を拡大
西の丸

現在は日本庭園になっているが、昔は番所や倉庫があった。南西には玉櫓と外郭から入ると鍵の手に曲がった所に2階の櫓門があった。本丸との境には西の鉄門があり、土橋でつながっていた。
本丸にある藤堂高虎の騎馬像

伊予今治藩より藤堂高虎が伊勢・伊賀22万石をもって入城し、
その後、明治維新まで藤堂高虎の居城でした。
天守台

津城には三重の大天守と二重の小天守が存在していたらしい。

別角度からの天守石垣


内堀は本丸、西の丸、東の丸を取囲んでいたが、順次埋め立てられて現在は本丸と西の丸の周りに残っているのみである。
時間も押していたため、わずか15分くらい見学した後、松坂城へ向かったのでしたが…
残念なことに、三層の復興櫓を見落としてしまいました。