【高取城】登城記

2013年11月3日(日)
昨日はハードスケジュールだったのですが、計画どおりに目的を達成できてよかったです。

午前8時25分、ホテルを出発前にお城を撮影。
これから和歌山県高野山へ向かいます。

ホテルの駐車場

高取城スタンプ設置所 「夢創館」

夢創館

午前10時10分 高野山に向かう途中、奈良県の高取町観光案内所「夢創館」が近いことに気づき、急遽立ち寄りました。
高取城の100名城スタンプは、こちらに設置せれています。
昨年登城済みの高取城のスタンプが、ここでゲットできたのは良かったです(^_^)

№61高取城 スタンプ

100名城スタンプ3城目です。

 

近くにあった高取城のCG再現写真

ありし日の高取城再現CG写真 ↑クリックで拡大

当時の高取城を再現したCG写真がありました。

この姿が明治まであったとは驚きです。

高野山

午後12時30分 高野山に近づくと渋滞が激しくなり、予定より到着が随分遅くなりました。

金剛峰寺入り口

遅い昼ごはんを取って金剛峰寺を観ることに・・・。

蛇腹路

蛇腹路 もみじの紅葉

伽藍入り口から東塔東側付近までのびる小道を「蛇腹路」と呼びます。高野山はお大師さまが「東西に龍の臥せるがごとく」と形容され、壇上伽藍を頭として現在の蓮花院(れんげいん)までを龍が臥している形に例えたのでした。そして、ちょうどこの小道が龍のお腹付近にあたることから蛇腹路と呼ばれるようになりました

もみじのトンネルです。

大塔

大塔

多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四仏(しぶつ)が取り囲み、16本の柱には堂本印象画伯の筆による十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)、四隅の壁には密教を伝えた八祖(はっそ)像が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅(まんだら)として構成されています。

内部は撮影禁止となっています。

大塔の鐘

大塔の鐘

お大師さまが鋳造を発願され、真然大徳の時代にようやく完成したと伝えられています。火災などで度々鐘楼が焼失し、三度ほど改鋳されました。

六角経蔵

六角経蔵(ろっかくきょうぞう)

鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、紺紙に金泥(きんでい)で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵です。

 

僧の行進

女人堂

女人堂

その昔、高野山には七つの登り口があり、高野七口(こうやななくち)と呼ばれていました。明治5年(1872年)に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限され、そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれました。現在の女人堂は唯一現存する建物です。

徳川家霊台

徳川家霊台

寛永20年(1643年)に三代将軍・家光によって建立されました。一重宝形造り(いちじゅうほうぎょうづくり)の建物が二つ並んでおり、向かって右が東照宮家康公霊舎(おたまや)、左が台徳院秀忠公霊舎となっています。境内の東端には三代将軍以下および御三家の尊牌堂(そんぱいどう)がありましたが、明治21年(1888年)に焼失してしまいました。

徳川家霊台

奥之院

弘法大師御廟に向かう参道入口

高野山の信仰の中心であり、弘法大師さまが御入定されている聖地です。正式には一の橋から参拝します。一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいます。

弘法大師御廟に向かう参道入口

午後2時40分 奥の院を観るため、一の橋から参拝しようとしたことが間違いでした。
駐車場を探しましたが近くになく随分歩きました。結局時間も無かったので奥の院までたどり着けず、途中で引き返しました。
後で分かったのですが、大きな駐車場が本堂の近くにありました。
観光客の人はこちらから参拝するようす。事前調査があまかったです。(^_^;)

≫高野山から高野龍神スカイラインを通って白浜温泉へ向かいました。

和歌山城編へつづく⇒

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