【名護屋城】登城記

2018年2月2日

2013年12月21日(土)
午後12時00分 平戸を出発して、約2時間で名護屋城博物館に到着。

名護屋城博物館駐車場

無料の駐車場に停め、博物館に向かいます。

大手口前井戸

駐車場を建設する為の発掘調査で発見された井戸で、深さは1.6mあり、調査後はしばらく水が湧き出ていたそうです。

名護屋城博物館

名護屋城博物館

向こうに博物館が見えますが、随分立派です。

名護屋城博物館入口

入館して100名城スタンプを押印

日本100名城スタンプ

館内にある名護屋城模型

 

日本海側から見た名護屋城
南側から見た名護屋城
北西側から見た名護屋城

堀の右側が秀吉の居館があった山里丸です。

南東側から見た名護屋城

手前が前田利家陣跡でその奥が木下延陣跡です。

二の丸合坂の瓦

二の丸合坂の瓦

二の丸合坂の瓦出土状況。

観光案内所前

博物館を出て、名護屋城跡へ向かうと直ぐに観光案内所がありす。

城跡の見学は無料ですが、観光案内所で200円の寄付をさせて頂きました。

名護屋城跡の石碑
ガイドマップ

観光案内所で頂いたパンフレットです。

大手口から登城

大手口

大手道は、大手口からつづく約100mの登り坂で、東出丸まで伸びています。

大手口から東出丸へ向かいました。

東出丸1

遠くに呼子大橋が見えます。

東出丸2

東出丸から三の丸へ

三の丸
三の丸の石碑

本丸大手門跡から本丸へ

本丸大手門跡から本丸へ

ここにあった門を、伊達政宗が青葉城に移築したらしいです。

本丸

本丸

ほぼ正方形で北西隅に天守があり、南側に大広間(対面所)、天守のちかくに奥向御殿が建っていたと推定されているそうです。

名護屋城址の碑
本丸と天守台
天守台

天守の礎石が残っています。

4個の中央部礎石は直径90cmほどの大きさです。

ここには五重六階地下一階の、望楼型の天守があったと推定されています。

 

天守台にある名護屋城の石碑
天守台から玄海を望む ↑クリックで拡大

天守台からの眺望です。遠くに対馬がかすかに見えましたが、写真では写っていないようです。天気が良ければ壱岐も見えるようです。

二の丸

天守台より二の丸を望む

遊撃丸
本丸新石垣櫓台

本丸拡張時に造られた櫓跡です。

埋められた石垣

発掘調査居により、旧本丸を構成する石垣と判明。
大改修により、埋められた石垣で、本丸で最も古い石垣と考えられています。

 

本丸から再び三の丸へ

三の丸の井戸
三の丸南西櫓台
三の丸南西櫓台鏡石

三の丸から二の丸へ

伝馬場
最大の石材(南西櫓台)

南西櫓台には三つの巨大な鏡石が配置され、名護屋城最大級の石材(約11t) が使用されています。

二の丸

二の丸が見えて来ました。広いです!

武器や兵糧を置く建物があったようです。

長屋建物跡

名護屋城を築城する時の、仮設の建物と推定されています。

二の丸

二の丸から天守台が見えます。

秀吉の死後廃城になった名護屋城は、再利用できないよう、徹底的に破却されたため、天守台の石垣もなくなっています。

二の丸から弾正丸へ

弾正丸搦手口

黒澤明監督「乱」の撮影場所 です。

弾正丸

秀吉の五奉行の筆頭浅野弾正長政が居住していた所で、その名にちなんで付けられました。

弾正丸から玄界灘原発が見えます。

再び登城坂を下り大手口へ

大手口
大手口にある石垣

午後1時22分、 一通り主な所を見た後、近くの道の駅でイカ造り定食を頂きました。

イカ造り定食

イカ造り定食

イカがピクピク動いていて、美味しかったです(^・^)
その後前田利家陣跡を見学して、福岡へ向かいました。

それにしても大きな縄張りをもったお城でした。わずか七年間とはいえ、朝鮮半島出兵のためだけにこれだけの規模の城をつくり、名立たる武将も名護屋城を取り囲むように陣地をつくっていたとは。
改めて秀吉の凄さを再認識しました。

唐津城編へつづく⇒

 

=新着記事=

岡豊城 登城記

2019年 12月28日午後2時20分、龍馬記念資料館から約30分で、長宗我部氏 ...

岡豊城

概要 岡豊城跡は、長宗我部氏の居城跡として知られる中世の城跡で、平成20年(20 ...

浦戸城 登城記

2019/12/31 12月28日(土)、坂本龍馬記念館を見学後、昼食を済ませ直 ...

浦戸城

概要 浦戸城は、海上交通の要衝である浦戸湾口にありましたが、山本氏の支城だった浦 ...

越前大野城 登城記

2019/08/24 8月12日午後2時、越前大野城を登城するため、結ステーショ ...