【鳥取城】登城記
2014年3月7日(金)
中国地方の100名城で未だに登城していない、鳥取県にある鳥取城を今月は訪れることにしました。3月であれば雪の心配も少ないし、鳥取といえば松葉蟹ですから、合わせて蟹を食べに行こうと計画しました。さらに、1泊するのであれば鳥取から兵庫県の竹田城、京都の篠山城と訪問し、100名城スタンプをゲットするための登城計画も加えました。(参加メンバー:嫁さん、娘、私の3名)
こんな計画です。<鳥取城→城崎温泉1泊(蟹)→竹田城→篠山城>
3月7日(金)6時20分、自宅を出発し鳥取城へ
自宅出発時の気温2℃ 天候は晴れ。しかし、鳥取の天気予報雪時々曇り 降水確率 60% 最悪 (ーー;)

山が少し白く見えます(-_-;)

山陽自動車道を走り、中国道の津山インターで降りて、国道54号線で鳥取へ向かいました。津山インター辺りでは青空でしたが、10分も走ると山や路肩は雪です。しかし路面に雪はなく、無事に峠を越えて鳥取まで行くことができました。

鳥取河原辺りを走っていると、川の向こうの山頂にお城らしき建物が目にとまりました。後で調べたところ、ここは秀吉の一次鳥取城攻めの時の陣跡と言われているそうで、そこに模擬天守を建てたようです。
久松公園駐車場

10時40分 鳥取市街に入ると雪が激しくなり、みるみる内に路面は雪で覆われてしまいました。
ゆっくり走行し、なんとか鳥取城の無料駐車場までたどり着くことができました(汗)
雪をあまくみていました!

堀沿いにあった案内図 を確認後登城



雪の降りしきる中を「北ノ御門」からの登城となりましたが、まずスタンプ設置所である「仁風閣」へ行ってみます。
雪の仁風閣(重文)

おぉ~。
銀世界!


仁風閣から三階櫓石垣を望む
仁風閣で日本100名城スタンプ押印

仁風閣内部見学
仁風閣に入ると直ぐ券売所があります。
そこで100名城スタンプをお借りして押印。綺麗に押すことが出来ました。


この仁風閣は明治39年9月に着工し、僅か8ヵ月で完成したそうです。完成と同時に時の皇太子殿下(のちの大正天皇)の山陰地方行啓の宿舎として使用されました。仁風閣の名前は、この時随行した海軍大将東郷平八郎の命名だそうです。



さて、一通り館内を見学した後、暖房も無く休憩も出来ないので、隣の県立博物館へ行きました。
県立博物館

時間も11時20分になっていたので、館内のレストランで食事をしてから登城することに。
レストランに居た時は日が差してきて、良かったなと思ったのもつかの間、直ぐに雪が降り出してしまいました。
雪の降る中での登城

天候が回復する様子もなさそうなので、博物館を出てお城の見学へ出かけました。
まずは博物館を出て城内で唯一の復元された建物、西坂下門(中仕切門)へ向かいます。
西坂下門(中仕切門)


城内の搦手門にあたるそうです。

さらに坂道を上っていきます。

この石段を上ったところに二の丸があります。

二の丸

雪だらけ!
二の丸は江戸時代前期には藩主が住み、家老が政治を司る藩主の御殿がありました。
その後に焼失した御殿は、再建されなかったそうです。
三階櫓跡

二の丸にある三階櫓跡です。
この櫓台には1階が8間四方、2階が6間四方、3階が4間四方の櫓が建てられて、
元禄5年(1692)山上ノ丸の櫓が焼失したのちは、この櫓が鳥取城を象徴するものとなり、明治12年の解体撤去までその威容を誇っていたそうです。


さて、雪の降りしきる中を次に向かったのは、どうしても観ておきたかった巻石垣のある天球丸です。

二の丸から天球丸へ向かうと「くま注意」の看板が! さすがに冬は冬眠中かと…
看板の向こうは鉄御門跡でしょうか。

鳥居を潜り更に階段を上ったところが天球丸です。
相変わらず吹雪のような天候です(ーー;)

天球丸

慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの跡、鳥取城主になった池田長吉の姉、天球院がこの曲輪の居館に住んでいたことから名づけられたそうです。
巻石垣


国内で唯一といわれるドーム型の石垣「巻石垣」です!
吹雪の中上ってきた甲斐がありました(^^)
変った形をしていますが、石垣の崩落を防ぐために築かれましたものだそうです。

天球丸から「巻石垣」を見たあと「山上ノ丸」へ登る予定でしたが、さすがにこの天候では無理と諦めまたした。
とても残念!

二の丸からの帰りに道に「登り石垣」がありました。
確か松山城と彦根城ある珍しい石垣らしいです。
登城後は雪が心配なので早々に今晩の宿泊先へ向かいました。