石垣山城

概要
石垣山は、もと笠懸山、松山などと呼ばれていましたが、天正18(1590)年豊臣秀吉が小田原北条氏の本拠小田原城を水陸合わせて約22万の大軍を率いて包囲した小田原合戦のとき、その本営として総石垣の城を築いて石垣山と呼ばれるようになりました。
この城を一夜にして築いたように見せかけたという伝承から石垣山一夜城といもいわれています。
ここ二の丸(馬屋曲輪)は、本丸(本城曲輪)と並んで最も広い曲輪で、中心部分、北へ長方形に張出した部分及び東の腰曲輪部分、これらの三つの部分からなっています。(説明板より)
データ
所在地 | 神奈川県小田原市早川 |
築城年 | 天正18年(1590) |
別名 | 石垣山一夜城 |
形態 | 不明 |
天守構造 | 独立式望楼型4重5階) |
主な城主 | 豊臣秀吉 |
主な遺構 | 石垣、曲輪、堀切、井戸 |
アクセス
所在地 | 神奈川県小田原市早川 |
車 | 西湘バイパス「早川IC」又は国道1号「早川口」交差点から国道135号を経由する場合、国道135号「早川」交差点は右折禁止です。「早川」交差点の約70m手前を左折、直後の交差点を右折、再び直後の交差点を右折し、国道135号「早川」交差点を横切って下さい。(幅員狭くバス等不可) |
電車 | JR早川駅より関白農道を経て徒歩約40分(急坂あり) |
ウェブサイト | 小田原市 |
駐車場

見どころ
関東で最初に造られた総石垣の城

石積みは野面積を用い、長期戦に備えた本格的な城造りであった。
登城記

2014年9月4日(金)
今日の予定は秀吉の一夜城で知られている【石垣山城】と【小田原城】を登城します。