長篠城

概要
武田信玄の後を継いだ勝頼は天正3年(1575)5月、15000人の軍を率いて長篠城を囲んだ。城主奥平貞昌は500人の城兵と共にこれをよく防ぎ、また、鳥居強右衛門等の決死の働きでもちこたえた。織田・徳川連合軍38000人は設楽原に進撃し、連吾川に沿って馬防柵を築いた。当時最強と謳われた武田軍は、織田・徳川連合軍の放つ多くの火縄銃の前に破れ、名だたる名将勇士を失った。
この戦いによって、武田氏の勢いは大きく衰退し、織田氏の勢力は絶対的なものとなった。まさに戦国に流れを大きく変える戦いといえる戦いであった。
(長篠城址史跡保存館パンフより)
データ
所在地 | 愛知県新城市長篠字市場22-1 |
築城年 | 永正5年(1508) |
別名 | 末広城、扇城 |
形態 | 梯郭式平城 |
天守構造 | なし |
主な城主 | 菅沼氏、奥平氏 |
主な遺構 | 曲輪、土塁、空堀、石垣 |
アクセス
所在地 | 愛知県新城市長篠字市場22-1 |
車 | 新東名新城I.Cより、国道151号を飯田方面へ3キロ 東名豊川I.Cより、国道151号を新城方面へ19キロ |
電車 | JR飯田線長篠城駅で下車、徒歩約8分 |
ウェブサイト | 長篠城址史跡保存館 |
駐車場

スタンプ設置所
新城市長篠城址史跡保存館窓口

登城記

2014年9月6日(土) /
今日は熱海から十国峠に立ち寄り【長篠城】【岡崎城】を登城して帰路の予定です。