【今治城】登城記2
2014年1月13日(月)
午後12時30分、松山城から一般道を走り約1時間で今治城へ到着しました。
天守が見えたので一旦車を停め、写真撮影。

現在、今治城を西側から見ています。
右手に「山里櫓」とその向こうに天守が見えます。

左手に見えるのは武具櫓です。
市営駐車場に車を停め、徒歩で鉄御門へ向かいます。
今回で2度目の登城です。

今回も鉄御門側から登城します。


広大な堀です。
海とつながっているため、堀ではスズキやクロダイが見られるそうです。
ちなみに、今治城は日本三大海城です。

大きなお堀を左右に見ながら鉄御門に向かうと、正面にとても大きな石が目に留まりました。この巨石は勢威を示す『鏡石(2.36×4.55×0.61m・16t)』で『勘兵衛石』と伝えられ、城内に保存されていたものを、発掘調査を基に本来の位置の、枡形正面石垣の中に戻されました。
渡辺勘兵衛は今治城の築城奉行を務めた人だそうです。

平成15年、今治城・開町400年際の記念事業として計画され、平成19年9月に完成しました。

藤堂高虎は近江の人。羽柴秀長、豊臣秀吉、徳川家康などに仕えた。幾多の戦功などを通じて次第に頭角を現したが、特に後半生の徳川家康の側近となってからは、天下人の参謀としてまた築城家として能力を発揮した。
高虎は江戸城をはじめとして多くの城の縄張を行い、質・量ともに最高の築城家と評価される。

藤堂高虎が五重天守を創建したと伝わり、形状は当時最新鋭の層塔型であったと考えられます。高虎の伊賀・伊勢転封と同時に解体されました。現在の天守は昭和55年(1980)に本丸北隅櫓跡に建てられた模擬天守です。
残念ながら天守だけでなく天守の場所も違っています。

表門から本丸へ


↑現在地

今回は天守には入らずに(500円)100名城スタンプを頂こうと受付の方に申し出たところ、しぶしぶ貸してもらえました。ただ焦っていたため押印失敗!
ムラになってしまった(ーー;)

少々気持ちが落ち込んでしまったが、気を取り直し午後1時00分、今治城を後に近くのゆめタウンで昼食をとって帰路へ。