小倉城

概要
小倉城は慶長7年(1602)細川忠興公が築城した名城です。天守閣の外観は五層六階で破風がなく、五層目が下の四層目より大きくて、黒塗りとしている。当時は「唐造り」とよばれ全国唯一の珍しいものでした。忠興公の後、小笠原藩が代々ここに居住し譜代大名として九州探題の威容を誇りましたが、幕末の慶応2年(1866)豊長戦争の際、小笠原藩は自ら城に火を放って惜しくも建物はことごとく焼失しました。現在の城は昭和34年在りし日の名城を再建したものです。天守閣は高さ28.7m、堀から石垣の高さは18.8mを加えると47.5mになります。(入場券の説明文より)
データ
所在地 | 福岡県北九州市小倉北区城内2-1 |
築城年 | 天正15年(1587年) |
別名 | 勝山城、指月城 |
形態 | 郭輪式平城 |
天守構造 | 連結式層塔型4重5階(1609年 非現存 連結式望楼型4重5階(1959年再 RC造 復興) |
主な城主 | 細川氏、小笠原氏 |
主な遺構 | 石垣、掘 |
主な再建造物 | 天守・模擬櫓・庭園 |
アクセス
所在地 | 福岡県北九州市小倉北区城内2-1 |
車 | 北九州都市高速・大手町ランプより車で約5分 |
電車 | JR小倉駅より徒歩約20分 JR西小倉駅より徒歩約10分 |
ウェブサイト | 小倉城HP |
駐車場

見どころ
迎え虎

小倉城が消失した慶応2年寅年(1866)に因んで描かれた雌雄一対の「迎え虎(雄虎)」(左)と「送り虎(雌虎)」(右)。各・高さ4.7×幅2.5m 昭和35,36年作
迎え虎はいずれの位置より見るも真正面に見えるところから八方睨みの虎とも言われています。小倉城hp
登城記

4月29日(土)
11時30分、勝山公園有料駐車場へ到着しました。