新高山

概要
鎌倉・室町時代を通じて沼田小早川氏が本拠地とした山城は、沼田川対岸の高山城でしたが、沼田小早川を継いだ隆景は、これまで高山城の福塁であった新高山城の大改修を行い、天文21年(1522)ここに本拠を移した。
以来毛利元就の三男隆景が、慶長元年(1596)三原城に移るまでの45年間、この新高山城が小早川氏の本拠となった。
この城郭は、標高197.6mの新高山を利用した山城で、東西400m、南北500mの全山を城塞としている。
現在、本丸、中の丸、釣井の段や匡真寺などの跡が残っている。
データ
所在地 | 広島県三原市本郷北4 |
築城年 | 天文21年(1552年) |
別名 | – |
形態 | 山城 |
天守構造 | – |
主な城主 | 小早川隆景 |
主な遺構 | 石垣、掘、土塁 |
アクセス
所在地 | 広島県三原市本郷北4 |
車 | 本郷ICから車で10分 |
電車 | |
ウェブサイト | 三原市HP |
駐車場

見どころ
番所跡

軽石の段、中の段、下の段の三郭からなり、大手道を警固する番所が設けられていました。
この番所の東方と西方にもそれぞれ東の番所、西の番所と呼ばれる郭が残っている
-説明板より-
匡真寺跡(きょうしんじ)

小早川氏の菩提寺跡で、隆景は天正5年(1577)亡父毛利元就の七回忌、亡母妙玖尼の三十三回忌に際して、ここに匡真寺(現在三原市宗光寺)を建立し、法会を盛大に営んだ。
寺跡は東西41m南北72mに及ぶ広大なもので、全面に瓦片が散乱し、築庭を思わせる湧水池・築地塀の跡などが残っている。
中の丸(二の丸)跡

ここには規模の大きな建物があった。
大手門跡

本丸のこの辺りに大手門があったと推定されている。
本丸跡

山頂尾根を削って造られた東西125mに及ぶ広大な郭で、西側と北側の斜面は巨石による石垣で補強しされてる。
登城記

2017年5月27日(土)
午前8時に自宅を出発し新高山城へ。