臼杵城

概要
臼杵城は弘治2年(1556年)、大友義鍞(宗麟)によって建てられた城です。
臼杵城が築かれた丹生島は、文字通り元々は臼杵湾に浮かぶ島でした。守りの堅いその地の利を生かして、この地を城郭にしたと考えられます。大友氏改易後は、福原直高、太田一吉と城主が替わり、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦後、稲葉氏が臼杵藩5万石余の主として、臼杵城に入ります。以後、明治維新まで臼杵藩は稲葉氏によって支配されました。その後、明治新政府の廃城決定により卯寅口門脇櫓、畳櫓意外の建物はすべて破壊され、公園化されました。 -現地説明板(臼杵市教育委員会)-
データ
所在地 | 大分県臼杵市臼杵丹生島91-1 |
築城年 | 永禄5年(1562年) |
別名 | 丹生島城、巨亀城、金亀城、亀城 |
形態 | 連郭式平山城(海城) |
天守構造 | 複合式望楼型3層 |
主な城主 | 大友氏、福原氏、太田氏、稲葉氏 |
主な遺構 | 曲輪、畳櫓、卯寅口門脇櫓、石垣、空堀、堀 |
主な再建造物 | 大門櫓 |
アクセス
所在地 | 大分県臼杵市臼杵丹生島91-1 |
車 | 東九州自動車道 臼杵IC |
電車 | 臼杵駅から徒歩で5分 |
ウェブサイト | 臼杵観光情報協会 |
駐車場

スタンプ設置所
見どころ
崖をくり貫いて造られた登城道

崖の岩をくり貫いて、道が造られたこの登城口を「鐙坂」(あぶみさか)と呼ぶ。
(鐙とは馬に乗るときに、足を乗せるもの)
畳櫓(現存)

1階と2階が同じ大きさの重箱櫓で現存櫓。
「畳櫓」という名前の由来は、祇園社(現在の八坂神社)から見た方角(たつみ)が由来とする説や、中に畳が敷かれていたという説等があるが、はっきりした由来は不明とのこと。
天守台

かつて3層4重(外観3層、内部4階)の天守櫓があった。
卯寅口門脇櫓(うとらぐちもんわきやぐら)

本丸南側曲輪の南東隅部に位置する現存の櫓。外観は二層、内部は三重、外壁は漆喰下見板張り、屋根は切妻屋根の櫓。
周辺観光スポット
臼杵城下町
二王座付近は、狭い路地のいたるところにどっしりとした量感溢れる門構えの武家屋敷跡、白壁の土蔵や宗派の異なる歴史ある寺院が軒を連ね、城下町特有の面影を残した地域です。
国宝 臼杵石仏
臼杵石仏は、凝灰岩の岩壁に刻まれた60余体の磨崖仏群です。平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫られたといわれていますが、誰がどのような目的で造営したのか、はっきりとしたことは分っておらず、今もなお多くの謎に包まれています。-パンフレットより-
名物・名産
臼杵ふぐ天丼

臼杵はふぐが名物
敷地内には牡蠣小屋があり、焼き牡蠣や、海鮮魚介類が食べられる。
登城記

2017年12月2日(土)
角牟礼城の登城を終え、次に向かった先は続日本100名城の「臼杵城」です。
角牟礼城を出発した時は、既に・・・
登城記を読む≫続日本100名城【臼杵城】