佐伯城

概要
佐伯城は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後に、新たに築かれた唯一の山城である。
近世になっても大和高取城、美濃岩村城、備中松山城などの山城が存在するが、それらは戦国時代より継続した山城であった。城は、豊後水道を望む標高144mの八幡山に置かれ、本丸、二の丸、西出丸、北出丸が石垣によって築かれていた。
なお、現存する石垣は、宝永6年(1709)に六代藩主である毛利高慶による大修理の際に築き直されたものである。
データ
所在地 | 大分県佐伯市大手町1丁目 |
築城年 | 慶長11年(1606年) |
別名 | 鶴ヶ城、鶴屋城、鶴谷城 |
形態 | 山城 |
天守構造 | 独立式望楼型3重 |
主な城主 | 毛利氏 |
主な遺構 | 三の丸櫓門、石垣 |
アクセス
所在地 | 大分県佐伯市大手町1丁目 |
車 | 東九州自動車道 佐伯IC・佐伯堅田ICから約15分 |
電車 | JR佐伯駅からバスで約6分、「大手前」下車徒歩3分 |
ウェブサイト | 佐伯市観光協会 |
駐車場
スタンプ設置所
佐伯市歴史資料館
見どころ
三の丸櫓門

三代藩主毛利高尚の時に、藩主の居館を山頂から三の丸に移した寛永14年(1637年)に、藩庁の正門として創建された。佐伯城の城郭建築物としては、唯一現存する遺構。 -佐伯市教育委員会-
堀切

本丸天守曲輪と二の丸の間は堀切によって遮断されていた。
石垣で築かれた堀切は珍しい。
また、この堀切には、江戸期に入り橋廊下が架けられていた。
本丸石垣

本丸には天守台があり、かつてはここに三重の天守が建っていた。
焼失後は再建されず、天守台のみが現存している。
周辺観光スポット
風連鍾乳洞
大正15年に発見された国指定の天然記念物です。
洞の奥行きは500m、閉塞型の鍾乳洞で外気の侵入が少なく、風化作用されなかったため、記念物は光沢がよく、均整のとれた最も美しい形で成長し、純白に近いのが特徴です。
最後の広場は面積15aもあり、洞内最大の記念物、競秀峰は、高さが10m、まわりが16mで、その美観の美しさは(元)日本ケイビング協会長山内浩先生(愛媛大学助教授)より日本で一番美しい記念物であり、代表的な鍾乳洞であると折紙がつけられました。
白水ダム

昭和9年から4年半の歳月をかけて、農業用水用に造られたダムで、高さは14.1mで長さは87.26mです。溜池の側壁は水圧で痛みやすいので、左岸は階段状の石壁を、右岸は円周上を曲線状の石組みで仕上げています。水が増えると左・右岸に沿って流れる水が、正面から流れ落ちる水の力を弱めるしくみになっています。中央に集められた水は15km先へ送られるそうです。
大観峰

根子岳、高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳の5つの山を阿蘇五岳と呼び、ここからの眺めは涅槃像(ねはんぞう)に例えられます。
初秋の早朝には雲海が発生することもあります。
登城記

2017年12月3日(日)
午前8時30分、宿泊したホテルから約10分で、佐伯市歴史資料館駐車場へ到着しました。
しかし、今日はイベントがあるとのことで、係員の方から佐伯文化会館の駐車場へ、行く・・・
登城記を読む≫続日本100名城【佐伯城】