松本城

黒漆塗りの下見板張りの天守群はどの角度から見ても美しい。天守と乾小天守のある石垣造りの近世城郭に改築したのは石川教正・康長父子だ。本丸正門の復元された黒門は侵入者が直進できない枡形門で、一の万が櫓門、二の門は高麗門になっている。藩 ...
松山城

松山城は、加藤嘉明が築城を開始したことに始まり、蒲生氏を経た25年後の松平氏の時代になってから完成した。見どころはまず天守群である。勝山山上を削平して天守曲輪(本壇)を置き、天守、小天守、隅櫓、門をつなげて防御を厳重にしている。高 ...
姫路城

黒田重隆の居城を羽柴秀吉が改修したのが、1580年、関が原の戦い後、池田輝政が入り大改修を行い、連立式天守を完成させた。更にその後、本田忠政が入城して西の丸など増築し、現在の姿にした。
データ所在地兵庫県姫路市本町68築城年 ...犬山城

犬山城は織田信長の叔父信康が尾張と美濃の国境に築城したことに始まりまる。1617年から尾張徳川家の付家老成瀬正成が入城し、以後、明治維新まで同家が城主をつとめた。
データ所在地愛知県犬山市犬山北古券65-2築城年応仁3年(1 ...松江城

関が原合戦の論功行賞で堀尾吉晴が嫡子忠氏とともに入封して築城した城である。天守は山陰地方に現存するただひつとつの天守である。じつに実践的な天守で、敵を欺くような石落、総桐の階段、井戸を設置すなど、天守内部での戦闘を想定した防御策が ...
彦根城

徳川四天王の一人、伊井直政は関ヶ原合戦後、佐和山城に入ったが、新城を築く準備中に没した。嫡子直継の代に他大名を助役として動員する天下普請で彦根山に築城を開始したのが慶応9年(1604)。以後、大坂の陣(豊臣氏滅亡)を挟み、20年か ...
丸岡城

独立式望楼型2重3階の天守で、最古の現存天守とする説もある。
1948年(昭和23年)の福井地震により倒壊したが、元の古材を80パーセント近く使用して1955年(昭和30年)に再建された。飾り外廻縁と高欄を有し、「現存12 ...
宇和島城

現在の地に初めて天守が建造されたのは慶長6年(1601)藤堂高虎(とうどうたかとら)築城のときとされています。城の外郭は上から見ると不等辺5角形をしており、随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見受けられます。
デー ...大洲城

大洲城の始まりは、14世紀前半の宇都宮豊房の居城である地蔵ヶ嶽城といわれている。この城を近世城郭に改造したのがは1595年に入城した藤堂高虎といわれている。天守が築かれたのは慶長年間で、城主は脇坂安治の時代である。天守は明治21年 ...
丸亀城

丸亀城は高石垣と小さな天守で有名である。この城は生駒氏、山崎氏、京極氏の三氏によって築き続けられ、現在の姿になった。平地から本丸まで四段の高石垣は、全体の高さを合わせると約60m。誰もが圧倒される高さであろう。
現存天守は ...