続日本100名城

概要

臼杵城は弘治2年(1556年)、大友義鍞(宗麟)によって建てられた城です。
臼杵城が築かれた丹生島は、文字通り元々は臼杵湾に浮かぶ島でした。守りの堅いその地の利を生かして、この地を城郭にしたと考えられます。大友氏改易後は、 ...

続日本100名城

概要

角牟礼城跡は標高577メートルの角埋山(つのむれやま)に築かれ、古くから石垣のある山城として知られています。また、天然の要害と呼ぶにふさわしく、三方は切り立った険しい岩壁で囲まれています。天正14年、15年(1585、86)の島津 ...

続日本100名城

概要

石城(別名:益岡城、桝岡城)は、白石市の中心部(益岡公園)にあった平山城です。
仙台藩の南の要衝であり、関ヶ原の戦い後、明治維新までの260余年間、伊達家の重臣片倉氏の居城となりました。
明治7年に解体されましたが ...

続日本100名城

概要

勝山舘跡は、松前藩祖の武田信廣が1470年頃に天の川左岸の標高100mの丘陵に築いた山城です。
また、勝山舘跡は武田氏が「松前」に進出し、さらに豊臣秀吉・徳川家康の公認を得て、安藤氏から独立を果たした16世紀~17世紀初頃 ...

続日本100名城

概要

志苔館跡は、函館市の中心部から約9km離れた標高25m程の海岸段丘南端部に位置している。
西側には志海苔川が流れ、南側は志海苔の市街地および津軽海峡に面し、函館市街や対岸の下北半島を一望することができる。-現地説明板-

続日本100名城

概要

 若桜鬼ヶ城は播磨、但馬へつながる交通の要衝にある。そのため、戦国時代において戦国大名である毛利、尼子、織田などによる争奪戦がくり広げられた。築城時期は不明だが、延徳元年(1489)の資料には「矢部館若狭」の記述があり、矢部氏によ ...

続日本100名城

概要

瀬戸内の水軍の動向を把握していた小早川隆景により、1567年から築城が始まった。沼田川河口の三原湾に浮かぶ大島、小島をつないだ城は当時、その姿が海に浮いたように見えたことから「浮城」と呼ばれた。
かつての城は東西の距離が約 ...

続日本100名城

概要

鎌倉・室町時代を通じて沼田小早川氏が本拠地とした山城は、沼田川対岸の高山城でしたが、沼田小早川を継いだ隆景は、これまで高山城の福塁であった新高山城の大改修を行い、天文21年(1522)ここに本拠を移した。
以来毛利元就の三 ...

続日本100名城

概要

七世紀後半の朝鮮半島では国の存亡をかけた戦いがくり広げられました。新羅は唐と結んで百済や高句麗を滅ぼしました。当時の日本は百済を助けるため大軍を送りましたが、西暦663年白村江の戦いで新羅・唐の連合軍に敗れました。その後、我が国で ...

続日本100名城

概要

戦国時代より土豪・豪族の間に、この古城をめぐって興亡の歴史を綴りながら、元和七年(1621)有馬豊氏丹波福知山より転封入城し、以降廃藩にいたるまで十一代二百五十年余年の間、有馬家累代の居城として藩府が置かれていました。
本 ...