小倉城

小倉城は慶長7年(1602)細川忠興公が築城した名城です。天守閣の外観は五層六階で破風がなく、五層目が下の四層目より大きくて、黒塗りとしている。当時は「唐造り」とよばれ全国唯一の珍しいものでした。忠興公の後、小笠原藩が代々ここに居 ...
大内氏館

この居館は、大内氏(周防の守護職)24代大内弘世以後歴代が、ここで政務を執った所です。
その領国は、中国・九州地方までおよんだため、山口は西日本の政治経済の中心地となりました。また、大内氏は海外との交易によって富の蓄積と異 ...
大垣城

大垣城は美濃守護・土岐一族の宮川吉左衛門尉安定により、天文4年(1535)に創建されたと伝えられています。関ケ原の戦いでは、西軍・石田三成の本拠地となりました。その後、戸田氏が十万石の城主となり明治まで太平の世が続きました。昭和 ...
浜松城

浜松城は、徳川家康が遠州政略の拠点として築いた城で、1570年から17年間在城しました。
歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから”出世城”とも言われました。
400年以上の風雪 ...
浜田城

浜田城は別名「亀山城」とも呼ばれる標高67メートルの平山城で、北は松原湾をかいして日本海を望み、南から西にかけては浜田川によって囲まれています。
元和5年(1619)に伊勢(三重県)松坂から古田重治が5万4千石余の浜田藩主 ...
座喜味城

座喜味城は15世紀の初頭築城家としても名高い護佐丸によって築かれたと言われている。
標高120mの丘に築かれ2つの郭からなる連郭式の形態になっていおり、それぞれの郭入口にアーチ門がある。
勝連城

勝連城は15世紀、海外貿易により勝連に繁栄をもたらした阿麻和利(あまわり)が居城した城です。
天下統一を目指した阿麻和利は護佐丸(中城城主)を倒し、王府打倒へ動きだしたのですが、王府軍によって滅ぼされました。
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中津城

中津城(なかつじょう)は、豊前国中津(現在の大分県中津市二ノ丁)にあった日本の城。黒田孝高(如水)が築城し、細川忠興が完成させた。江戸時代の大半は、奥平氏が居城としていた。
(本丸跡にある説明板より)
米子城

米子城は、天正19年(1591年)から毛利の一族吉川広家が標高90.5mの湊山を中心に築城を始め、頂上の四重櫓と縄張りを大体つくった。その後、広家は岩国に移されて、慶長5年(1600年)伯耆(ほうき)17.5万石領主中村一忠がさ ...
石垣山城

石垣山は、もと笠懸山、松山などと呼ばれていましたが、天正18(1590)年豊臣秀吉が小田原北条氏の本拠小田原城を水陸合わせて約22万の大軍を率いて包囲した小田原合戦のとき、その本営として総石垣の城を築いて石垣山と呼ばれるようになり ...