日本100名城

概要

津山城は、この鶴山の地に森忠政が慶長九年(1604)に起工し、 元和二年(1616)の完成まで13年の歳月をかけて築いた輪郭式の平山城です。
往時には五層の天守閣がそびえていましたが、この天守閣は弓狭間・鉄砲狭間・石落とし ...

日本100名城

概要

竹田城は15世紀前半に築かれた山城である。羽柴秀吉の但馬攻めで落城し、天正13年(1585)に城主となった赤松広秀が数年かかって大改修した。関ヶ原合戦のとき、広秀は西軍から東軍に寝返り鳥取城を攻めたが、徳川家康によって切腹させられ ...

日本100名城, 現存天守

概要

独立式望楼型2重3階の天守で、最古の現存天守とする説もある。
1948年(昭和23年)の福井地震により倒壊したが、元の古材を80パーセント近く使用して1955年(昭和30年)に再建された。飾り外廻縁と高欄を有し、「現存12 ...

日本100名城

概要

五稜郭は日本初のヨーロッパで考案され稜ぼ式の城砦である。箱館開港にともない蝦夷地の管理と箱館防御のために、徳川幕府の命令で築かれた。
江戸時代末期に現在の北海道函館市に建造された城郭および当時日本で建造された星形の城郭の通 ...

日本100名城

概要

関が原合戦後に藤堂高虎が海城として築いた今治城は、海水を取り入れた水堀を曲輪の周囲に巡らせ、舟入には軍船が出入りできた。中心部の本丸、二の丸と海側に高石垣を築いたが、陸側は土塁で防御するたけだった。天守は高虎が転封の際解体され、そ ...

日本100名城, 現存天守

概要

現在の地に初めて天守が建造されたのは慶長6年(1601)藤堂高虎(とうどうたかとら)築城のときとされています。城の外郭は上から見ると不等辺5角形をしており、随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見受けられます。

デー ...

日本100名城, 現存天守

概要

大洲城の始まりは、14世紀前半の宇都宮豊房の居城である地蔵ヶ嶽城といわれている。この城を近世城郭に改造したのがは1595年に入城した藤堂高虎といわれている。天守が築かれたのは慶長年間で、城主は脇坂安治の時代である。天守は明治21年 ...

日本100名城, 現存天守

概要

丸亀城は高石垣と小さな天守で有名である。この城は生駒氏、山崎氏、京極氏の三氏によって築き続けられ、現在の姿になった。平地から本丸まで四段の高石垣は、全体の高さを合わせると約60m。誰もが圧倒される高さであろう。
現存天守は ...

日本100名城, 現存天守

概要

関が原の戦い後、旧城があった大高坂山に、山内一豊が新たに築いたのが近世城郭の高知城である。山頂に本丸、少し下がった北側に二の丸、東側の一段下に三の丸を配している。本丸と二の丸を分断する掘切部分には詰門が置かれており、南側の廊下門と ...

日本100名城, 現存天守

概要

小松山の山頂を中心に築かれた近世城郭。一般に「備中松山城」と呼ばれるのは、この小松山城を指す。城内には天守・二重櫓・土塀の一部が現存しており、昭和十六年に国宝(昭和二十五年 文化財保護法の制定により重要文化財)指定を受けている。平 ...