小峰城

奥州関門の名城と謳われた小峰城は、結城親朝が興国・正平年間(1340~1369)に小峰ヶ岡に城を構えたのがはじまりで、寛永9年(1632)に江戸時代の初代藩主、丹羽長重が4年の歳月を費やして完成させた梯郭式の平山城です。
二本松城

二本松城は、15世紀前半畠山氏の居城として築城されたといわれています。
その後、伊達、上杉、松下、加藤と城主がかわり、寛永20年(1643)に丹羽光重が二本松藩10万700石で入城し、以後、丹羽氏の居城として明治維新を迎え ...
会津若松城

黒川城と呼ばれる前身の城は中世にあったとされるが、蒲生氏郷が会津に入り、1592年に92万石の大大名として七重天守のそびえる近世城郭へ大改修を行い、名も会津若松城へ改める。のち、加藤明成が会津に入り、層塔型の五重天守を築き、様々な ...
春日山城

戦国の名将・上杉謙信公の城として今も天下にその名をとどろかせている春日山城は、越後守護上杉氏が戦時のために築いた城で、今の県庁にあたる守護所から約4kmの位置にあり、関東・信濃・北陸へ往来が一目で監視でき、守護代長尾氏が守護所と連 ...
新発田城

上杉謙信の重臣新発田重家の居城だったが、後年、入封した溝口秀勝と子孫が近世城郭と変貌させた城である。
一番のみどころは旧二の丸隅櫓とともに国の重要文化財に指定されている表門(二階建の櫓門)。下半分は海鼠壁とし、櫓の床には石 ...
今帰仁城

今帰仁城は沖縄本島北部の標高100mのほぼ独立した丘上にある。怕尼芝(はねじ)らは北山王を称してこの地を統治していたが、中山王尚(ちゅうざんおうしょう)氏によって滅ぼされ、その後、薩摩軍に攻められ炎上、廃城となった。「百曲り」(も ...
中城城

中城城跡は、中城村と北中城村にまたがり東北から南西にほぼ一直線に伸びた標高150m~170mの石灰岩丘陵上の縁辺部に立地する山城で、南東側は15m以上の切り立った断崖、北西側は勾配のきつい傾斜面となっているため城内に至るには正門や ...
首里城

現在見られる城の基本的縄張は尚真王(しょうしんおう)と尚清王の時代(1477-1555)である。正殿を中心とする御庭(うなー)が最大のみどころ。御庭は謁見や祭祀の儀式がおこなわれる場所で、それを囲むように北殿、南殿、番所、奉神門 ...
名古屋城

戦国時代、尾張今川氏と織田氏の居城、那古野城の上に建てられたのが、今の名古屋城である。徳川家康が大坂城を包囲するために築いたと解されている。家康は天下普請で天守・小天守を中心に多くの櫓・城門を設けた、最大・最強の近世城郭を完成され ...
佐倉城

佐倉城は石をいっさい用いず、土塁と深い空堀そして水掘で守られた土造りの近世城郭である。椎木門跡の前面にある角馬出は、発掘調査をもとに復元されており、その威容は実感できる。また湿地帯に掘られた水掘が本丸台地を巡り、本丸の南北には馬出 ...