篠山城

篠山城は徳川家康が大阪城の豊臣氏との戦いに備えて築いた城である。総奉行は池田輝政、縄張りは藤堂高虎が担当した。二十人もの西国大名を動員する天下普請であった。縄張は北東隅に隅欠きのある「回」の字型。中心部の本丸と二の丸はすべて高石垣 ...
一乗谷城

一乗谷城は朝倉氏の館だけでなく、城下町と周辺の四つの山城を含む縄張りをさし、朝倉隆景が越前の守護斯波氏を破り、一乗谷に居館を移したことから始まる。朝倉氏は一乗谷の南北に二つの城門を設けて城下を守り、館の背後の山には夥しい数の畝状空 ...
金沢城

加賀一向一揆の拠点、金沢御堂の跡地に織田信長の家臣佐久間盛政が築城したのがはじまりである。その後前田利家が入城して改修を行い金箔瓦の天守も築いたが、落雷により消失。現在の金沢城の姿は寛文八年(1631)からの普請によるものと考えら ...
小谷城

小谷城は織田信長に滅ぼされた浅井亮政・久政・長政三代の居城であった。浅井氏滅亡後、戦功のあった豊臣秀吉が入城したが、秀吉は長浜に新城を築き、この城を廃城にした。
データ所在地滋賀県長浜市須賀谷町築城年永世13年(1516)別 ...観音寺城

近江守護佐々木六角氏の居城。築城時期は不明であるが、16世紀前半から石垣、石塁を築いて本格的に普請をおこなったと考えられている。当時としては最先端をゆく城郭で、主郭部の高石垣のほかに曲輪群を石垣で固めており、六角氏の居館には二階建 ...
大分府内城

福原直高が大分湾の海際に築城し、竹中重利が大きく改修した城である。海側の本丸を二の丸(東の丸、西の丸)・山里丸、三の丸がL字型に囲む縄張りである。ただし、山里丸、西の丸、東の丸が馬出あるいは外枡形のように連なる配置になっており、そ ...
岡城

築城は12世紀初め。標高325mの天神山の断崖絶壁を生かした古城であった。文禄3年(1595)岡城に入った中川秀成は、本丸を中心に二の丸、三の丸、西の丸をおき、高石垣を多用して、本丸に天守代わりの御三階櫓を、西の丸に御殿を建てた。 ...
徳島城

蜂須賀家政が吉野川河口のいの山に築いた平山城が徳島城である。山頂に本丸を置き、西二の丸、西三の丸と東二の丸を周囲に配して詰めの城とし、麓には御殿を置いた。本丸にあった初代天守は元和期に取り壊され、そお後、天守は東二の丸に建てられた ...
高松城

豊臣秀吉の家臣生駒親正が海城の基礎を固め、後の松平頼重・頼常父子が大改修を行い、近世城郭としての海域を完成させた。城の北側は海に接し、陸側は東西二か所から海水を引き込んだ三重の堀が曲輪を囲む。小さな本丸は内掘りに浮かぶ小島のようで ...
吉田郡山城

郡山城は毛利氏の居城であった。毛利氏の先祖が郡山南東の支尾根に築いたのが始まりだという。城の整備拡大は、元就が国人領主から戦国大名へと勢力を伸張するのに歩を合わせて行われた。元就は山頂の本丸を中心に、放射線状に大小の曲輪を築き、つ ...