萩城

萩城は関が原の戦いで戦わずに敗れた毛利輝元が、徳川家康に指定された地に築いた城である。輝元は日本海に突出した指月山に詰丸、その麓に本丸、二の丸、三の丸を築き、五重五層の望楼型天守を建てた。
データ所在地山口県萩市堀内500築 ...津和野城

鎌倉時代末期に創築された中世城郭を、関が原の戦いの軍功で入城した坂崎成正が総石垣の近世城郭に大改造した。なお、今に残る美しい城下町は後年入城した亀井氏によって整備された。成正は城山の最高所を本丸(三十間台)とし、そこから一段下がっ ...
江戸城

江戸城は麹町台地の東端に、扇谷上杉氏の家臣太田道灌が築いた日本最大の平山城である。徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城、江戸幕府の開幕後は幕府の政庁となる。
データ所在地東京都千代田区千代田築城年康正3年(1457)別 ...小田原城

小田原城は豊臣秀吉に滅ぼされた後、北条氏の大改修によって近世城郭に生まれ変わった。大手門跡から復元された馬出門、馬屋曲輪、銅門、二の丸、常盤木門、本丸への登城ルートを歩けば、近世小田原城の縄張がわかりやすい。
データ所在地神 ...福山城

福山に入封してきた徳川氏の譜代大名水野勝成が新たに築いた城。幕府は勝成を送り込み、資材の現物供与と資金支援までして毛利氏ら西国大名の監視・防衛強化を図ったのである。大坂冬の陣から5年が過ぎていた。縄張は標高約20mの微高地に本丸を ...
岡山城

父宇喜多直家が金光氏から奪った城をその子秀家が引き継いだ城である。秀家は高石垣を築き、不等辺五角形の天守台に金箔瓦を葺いた六階の天守を建てた。その後、関が原合戦に敗れた秀家のあとに入城した、小早川秀秋や池田氏によって拡張整備が続け ...
高取城

高取城は奈良飛鳥盆地の南、標高583mの山頂を中心に築かれた近世山城である。14世紀前期には存在していたらしいが、近世城郭に仕上げたのは羽柴秀長配下の本田氏である。
データ所在地奈良県高市郡高取町大字高取築城年元徳4年(13 ...福岡城

関が原の戦いの戦功により筑前に入国した黒田孝高・長政親子が築いた城である。丘陵の先端に本丸を築き、北・西・南の守りを東の二の丸、二の丸、南の二の丸が固めていた。その外側に三の丸があり、これらを囲む水堀は幅50mを超えていた。本丸と ...
佐賀城

戦国大名龍造寺氏の居城村中城を、重臣鍋島直茂、勝茂親子が拡張整備して、佐賀城とした。四囲を堀で囲んだ典型的な平城で、本丸、二の丸、三の丸、西の丸のほか、五層の天守も建てられた。しかし、その後のたび重なる火災で、天守はじめ本丸御殿も ...
島原城

島原城は松倉重政が築城した巨郭である。縄張は本丸、二の丸、三の丸が並ぶ連郭式の平城で、折れを多用した高石垣で堅固に築かれていた。城内には五重五階天守を中心に三棟の三重櫓が建ち、平櫓は三三棟あった。本丸の広さは名古屋城に匹敵するほど ...