熊本城

加藤清正が築いた名城で、織豊系城郭の到達点を極めた城である。本丸には大天守と小天守を建て、各曲輪には宇土櫓など、五棟五階櫓が並んでいた。後年、西南戦争で本丸の大部分が焼失したものの、櫓十二棟と清正流と称される高石垣は、現代人の目の ...
大阪城

現在の大阪城の天守は、実は三代目である。初代は豊臣秀吉が築いた大坂城の天守である。五重六階地下二階、黒漆塗の下見板張、金箔瓦の望楼型天守だった。二代目の徳川秀忠再建のものは、豊臣時代の城跡に盛土をして再建され、五重五階地下一階、白 ...
赤穂城

赤穂浪士で有名な城である。常陸笠間から入封した浅野長直が、1648年から改修を開始し、近世城郭と整備した。千種川の三角州上に築かれた海城でもあった。
データ所在地兵庫県赤穂市加里屋駅前328番地築城年文正元年(1466)別名 ...姫路城

黒田重隆の居城を羽柴秀吉が改修したのが、1580年、関が原の戦い後、池田輝政が入り大改修を行い、連立式天守を完成させた。更にその後、本田忠政が入城して西の丸など増築し、現在の姿にした。
データ所在地兵庫県姫路市本町68築城年 ...犬山城

犬山城は織田信長の叔父信康が尾張と美濃の国境に築城したことに始まりまる。1617年から尾張徳川家の付家老成瀬正成が入城し、以後、明治維新まで同家が城主をつとめた。
データ所在地愛知県犬山市犬山北古券65-2築城年応仁3年(1 ...岐阜城

金華山山頂に位置し、1201年に鎌倉幕府執事二階堂行政により砦が築かれたといわれている。以来800年、戦国時代には斉藤道三や織田信長が居城として、天下統一の野望を膨らませていた。
データ所在地岐阜県岐阜市天守閣18築城年正治 ...松江城

関が原合戦の論功行賞で堀尾吉晴が嫡子忠氏とともに入封して築城した城である。天守は山陰地方に現存するただひつとつの天守である。じつに実践的な天守で、敵を欺くような石落、総桐の階段、井戸を設置すなど、天守内部での戦闘を想定した防御策が ...
二条城

二条城は徳川幕府の開府と終焉の舞台である。初代家康が征夷大将軍拝賀の祝宴を催し、最後の将軍慶喜が大政奉還を発表したのがこの城だ。現在の姿になったのは三代家光のとき。家光は後水尾天皇の行幸を仰ぐため、御殿や白亜の天守を造築した。
安土城

浅井・朝倉両氏を滅ぼし、武田勝頼を長篠の戦いで撃破した織田信長が、天正四年(1576)から築城を開始した城である。五重七階の豪壮華麗な天守が完成したのは天正七年。その三年後に起きた本能寺の変で信長は天下統一の前に横死し、安土城の天 ...
彦根城

徳川四天王の一人、伊井直政は関ヶ原合戦後、佐和山城に入ったが、新城を築く準備中に没した。嫡子直継の代に他大名を助役として動員する天下普請で彦根山に築城を開始したのが慶応9年(1604)。以後、大坂の陣(豊臣氏滅亡)を挟み、20年か ...