会津若松城

黒川城と呼ばれる前身の城は中世にあったとされるが、蒲生氏郷が会津に入り、1592年に92万石の大大名として七重天守のそびえる近世城郭へ大改修を行い、名も会津若松城へ改める。のち、加藤明成が会津に入り、層塔型の五重天守を築き、様々な ...
春日山城

戦国の名将・上杉謙信公の城として今も天下にその名をとどろかせている春日山城は、越後守護上杉氏が戦時のために築いた城で、今の県庁にあたる守護所から約4kmの位置にあり、関東・信濃・北陸へ往来が一目で監視でき、守護代長尾氏が守護所と連 ...
新発田城

上杉謙信の重臣新発田重家の居城だったが、後年、入封した溝口秀勝と子孫が近世城郭と変貌させた城である。
一番のみどころは旧二の丸隅櫓とともに国の重要文化財に指定されている表門(二階建の櫓門)。下半分は海鼠壁とし、櫓の床には石 ...
今帰仁城

今帰仁城は沖縄本島北部の標高100mのほぼ独立した丘上にある。怕尼芝(はねじ)らは北山王を称してこの地を統治していたが、中山王尚(ちゅうざんおうしょう)氏によって滅ぼされ、その後、薩摩軍に攻められ炎上、廃城となった。「百曲り」(も ...
中城城

中城城跡は、中城村と北中城村にまたがり東北から南西にほぼ一直線に伸びた標高150m~170mの石灰岩丘陵上の縁辺部に立地する山城で、南東側は15m以上の切り立った断崖、北西側は勾配のきつい傾斜面となっているため城内に至るには正門や ...
首里城

現在見られる城の基本的縄張は尚真王(しょうしんおう)と尚清王の時代(1477-1555)である。正殿を中心とする御庭(うなー)が最大のみどころ。御庭は謁見や祭祀の儀式がおこなわれる場所で、それを囲むように北殿、南殿、番所、奉神門 ...
佐倉城

佐倉城は石をいっさい用いず、土塁と深い空堀そして水掘で守られた土造りの近世城郭である。椎木門跡の前面にある角馬出は、発掘調査をもとに復元されており、その威容は実感できる。また湿地帯に掘られた水掘が本丸台地を巡り、本丸の南北には馬出 ...
水戸城

鎌倉時代に馬場氏が築いた館を佐竹義宣が大改修し、さらに徳川頼房が入城して御三家にふさわしい城に改築した城である。台地上の最高所に本丸を築き、二の丸、三の丸を連郭式に配した縄張である。また石垣を用いず、土塁と堀のみで守りを固めてい ...
足利氏館

館は平安時代末期から鎌倉時代はじめに足利義兼によって築かれたといわれている。義兼は館内に持仏堂を建立これが鑁阿寺のはじまりである。のちに尊氏が室町幕府を開くと鑁阿寺は足利氏発祥の地、そして氏寺として尊崇され厚い保護を受けた。堀、 ...
金山城

金山山頂の実城(本丸)を中心にそこから伸びる尾根を削平して曲輪を造り、堀切、土塁で堅く守った山城である。驚嘆するのは、あらゆる所に石を用いていることだ。通路までもが敷石であるし、土塁と称するものの、石積みされた土塁(土塁石垣)であ ...