日本100名城

概要

チャシは砦や柵囲いを意味するアイヌ語である。丘陵や海岸に面した断崖上に自然地形を生かして堀、土塁、盛土で形成された単純構造のものが多い。戦いのための城砦だけでなく、祭祀、集会、見張り場として利用されたようである。-日本100名城へ ...

その他(城・古戦城)

概要

彦根駅の北側、佐和山(232.5m)にある城跡です。不破(ふわ)の関があった関ケ原(せきがはら)に近く、交通の要衝でした。
近江守護佐々木氏によって築城され、天正18年(1590)石田三成(いしだみつなり)(1560-16 ...

続日本100名城

概要

佐伯城は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後に、新たに築かれた唯一の山城である。
近世になっても大和高取城、美濃岩村城、備中松山城などの山城が存在するが、それらは戦国時代より継続した山城であった。城は、豊後水道を望む標高1 ...

続日本100名城

概要

角牟礼城跡は標高577メートルの角埋山(つのむれやま)に築かれ、古くから石垣のある山城として知られています。また、天然の要害と呼ぶにふさわしく、三方は切り立った険しい岩壁で囲まれています。天正14年、15年(1585、86)の島津 ...

続日本100名城

概要

勝山舘跡は、松前藩祖の武田信廣が1470年頃に天の川左岸の標高100mの丘陵に築いた山城です。
また、勝山舘跡は武田氏が「松前」に進出し、さらに豊臣秀吉・徳川家康の公認を得て、安藤氏から独立を果たした16世紀~17世紀初頃 ...

日本100名城

概要

戦国の名将・上杉謙信公の城として今も天下にその名をとどろかせている春日山城は、越後守護上杉氏が戦時のために築いた城で、今の県庁にあたる守護所から約4kmの位置にあり、関東・信濃・北陸へ往来が一目で監視でき、守護代長尾氏が守護所と連 ...

日本100名城

概要

中城城跡は、中城村と北中城村にまたがり東北から南西にほぼ一直線に伸びた標高150m~170mの石灰岩丘陵上の縁辺部に立地する山城で、南東側は15m以上の切り立った断崖、北西側は勾配のきつい傾斜面となっているため城内に至るには正門や ...

日本100名城

概要

金山山頂の実城(本丸)を中心にそこから伸びる尾根を削平して曲輪を造り、堀切、土塁で堅く守った山城である。驚嘆するのは、あらゆる所に石を用いていることだ。通路までもが敷石であるし、土塁と称するものの、石積みされた土塁(土塁石垣)であ ...

日本100名城

概要

八王子城は北条氏康の次男氏照によって築城された山城である。後北条氏の支城では最大規模の城であり、築城技術の到達点を示す城と評されている。城は本丸を中心とした要害地区と山麓の居館地区、さらに外郭の防御施設で構成されている。山中には堀 ...

日本100名城

概要

 七尾城は能登守護畠山氏の居城で、七代目の義総が整備を進めた。その後、上杉謙信に攻められ落城。謙信はこの城から望む七尾湾の眺望をこよなく愛でたという。謙信の死後、前田利家が織田信長に宛がわれて入城した。利家は七尾城を修築するととも ...