続日本100名城

概要

 大垣城は美濃守護・土岐一族の宮川吉左衛門尉安定により、天文4年(1535)に創建されたと伝えられています。関ケ原の戦いでは、西軍・石田三成の本拠地となりました。その後、戸田氏が十万石の城主となり明治まで太平の世が続きました。昭和 ...

日本100名城

概要

上杉謙信の重臣新発田重家の居城だったが、後年、入封した溝口秀勝と子孫が近世城郭と変貌させた城である。
一番のみどころは旧二の丸隅櫓とともに国の重要文化財に指定されている表門(二階建の櫓門)。下半分は海鼠壁とし、櫓の床には石 ...

日本100名城

概要

川越城は扇谷上杉(おおぎがやつうえすぎ)氏の家宰太田道真(かさいおおたどうしん)・道灌父子が築城したことにはじまる。江戸入府後、この城を重視した徳川家康は譜代の家臣を入城させた。大改修がおこなわれたのは松平信綱のときである。信綱は ...

続日本100名城

概要

中津城(なかつじょう)は、豊前国中津(現在の大分県中津市二ノ丁)にあった日本の城。黒田孝高(如水)が築城し、細川忠興が完成させた。江戸時代の大半は、奥平氏が居城としていた。
(本丸跡にある説明板より)

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日本100名城

概要

 前田利長が居城としていた富山城を火災で焼失したため、高岡に城を築いた。縄張りは客将として前田家に抱えられていた高山右近と伝えられる。元和の一国一城令により廃城とされ未完成に終わったが、堀と曲輪は破却をまぬがれた。縄張りの特徴は、 ...

日本100名城

概要

少年期に今川氏の人質として過ごした駿府に徳川家康が戻ってきたのは、秀忠に将軍職を譲り、大御所となった慶長11年(1606)である。家康は西国の外様大名を動員し、先年改修した城を三重の堀と二つの曲輪が本丸を囲む輪郭式の城に改築した。 ...

日本100名城

概要

主郭・西曲輪を囲む広い水堀が一番の見どころだが、西曲輪の南北にある武田氏特有の枡形虎口や大手東側には武田氏滅亡後、総掘と土塁で囲まれた曲輪が造られており、現在は土塁と堀が復元されている。中曲輪北西隅に豊臣期に造られた天守台があるが ...

日本100名城

概要

松代城は武田信玄が北信濃を支配するために築いた海津城が前身である。川中島合戦で著名なこの城には、武田氏滅亡後、織田・上杉・豊臣・徳川各氏の家臣がつぎつぎと入城した。元和八年(1622)、真田信之が入封、三代藩主幸道のときに松代城と ...

日本100名城

概要

吉野ヶ里遺跡は弥生時代前期から後期にかけて存在した環濠集落である。弥生時代中期後半、紀元前一世紀頃に富をめぐる戦が起こり、外的に備えて集落の周囲に二重三重に濠や柵を巡らせた「城」の祖型である環濠集落が誕生し、後期になると国内最大規 ...

日本100名城

概要

豊臣秀吉の支配を受けることになった毛利輝元が、郡山から本拠を移して築いた城である。天守は望楼型の五重五層の大天守に、二基の子天守を連ねた連結式天守。関が原の合戦後、長門萩に移り、福島氏、ついで浅野氏が入城した。

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