会津若松城

黒川城と呼ばれる前身の城は中世にあったとされるが、蒲生氏郷が会津に入り、1592年に92万石の大大名として七重天守のそびえる近世城郭へ大改修を行い、名も会津若松城へ改める。のち、加藤明成が会津に入り、層塔型の五重天守を築き、様々な ...
首里城

現在見られる城の基本的縄張は尚真王(しょうしんおう)と尚清王の時代(1477-1555)である。正殿を中心とする御庭(うなー)が最大のみどころ。御庭は謁見や祭祀の儀式がおこなわれる場所で、それを囲むように北殿、南殿、番所、奉神門 ...
佐倉城

佐倉城は石をいっさい用いず、土塁と深い空堀そして水掘で守られた土造りの近世城郭である。椎木門跡の前面にある角馬出は、発掘調査をもとに復元されており、その威容は実感できる。また湿地帯に掘られた水掘が本丸台地を巡り、本丸の南北には馬出 ...
水戸城

鎌倉時代に馬場氏が築いた館を佐竹義宣が大改修し、さらに徳川頼房が入城して御三家にふさわしい城に改築した城である。台地上の最高所に本丸を築き、二の丸、三の丸を連郭式に配した縄張である。また石垣を用いず、土塁と堀のみで守りを固めてい ...
箕輪城

巨大な堀と土塁そして朽緻(こうち)な縄張の堅固な土造の城であったが、最後に入った徳川家康の譜代井伊直政によって石を多用した近世城郭に大改修されている。一番の見どころは二の丸から鍛冶曲輪の南側にほられた大堀切だ。幅30m、深さ20 ...
米子城

米子城は、天正19年(1591年)から毛利の一族吉川広家が標高90.5mの湊山を中心に築城を始め、頂上の四重櫓と縄張りを大体つくった。その後、広家は岩国に移されて、慶長5年(1600年)伯耆(ほうき)17.5万石領主中村一忠がさ ...
明石城

明石城は大阪夏の陣で豊臣氏が滅び、一国一城令が下されてから4年後に完成したお城です。
築城者は小笠原忠真ですが、築城を命じたのは二代将軍徳川秀忠でした。
西国諸藩に対する備えとして築城されました。
飫肥城

島津氏と伊東氏の役25年にわたる争奪戦を経て、天正16年(1588)伊東氏が城主となる。近世城郭の体裁が整ったのは、その100年後の伊東祐実の大改修以降である。城は本丸、中の丸、松尾の丸など、多くの曲輪に分かれていた。城域がシラ ...
鹿児島城

概要
城山東麓に島津家久が築いた平城である。本丸と二の丸を連郭式に並べ、石垣と堀で囲んだだけの簡素な城であった。御楼門、御隅櫓を備えたが、天守は無かった。大大名とは思えぬ、中世の居館のようになった理由はさまざまあげられて ...
岡崎城

岡崎城の起源は15世紀前半までさかのぼる。名大寺の地に西郷頼嗣によって築城されたのがそのはじまりである。その後、亨禄4年(1531)に松平清康(家康の祖父)が現在の位置に移して以来、ここが岡崎城と称されるようになった。