若桜鬼ヶ城

若桜鬼ヶ城は播磨、但馬へつながる交通の要衝にある。そのため、戦国時代において戦国大名である毛利、尼子、織田などによる争奪戦がくり広げられた。築城時期は不明だが、延徳元年(1489)の資料には「矢部館若狭」の記述があり、矢部氏によ ...
三原城

瀬戸内の水軍の動向を把握していた小早川隆景により、1567年から築城が始まった。沼田川河口の三原湾に浮かぶ大島、小島をつないだ城は当時、その姿が海に浮いたように見えたことから「浮城」と呼ばれた。
かつての城は東西の距離が約 ...
新高山

鎌倉・室町時代を通じて沼田小早川氏が本拠地とした山城は、沼田川対岸の高山城でしたが、沼田小早川を継いだ隆景は、これまで高山城の福塁であった新高山城の大改修を行い、天文21年(1522)ここに本拠を移した。
以来毛利元就の三 ...
水城

七世紀後半の朝鮮半島では国の存亡をかけた戦いがくり広げられました。新羅は唐と結んで百済や高句麗を滅ぼしました。当時の日本は百済を助けるため大軍を送りましたが、西暦663年白村江の戦いで新羅・唐の連合軍に敗れました。その後、我が国で ...
久留米状

戦国時代より土豪・豪族の間に、この古城をめぐって興亡の歴史を綴りながら、元和七年(1621)有馬豊氏丹波福知山より転封入城し、以降廃藩にいたるまで十一代二百五十年余年の間、有馬家累代の居城として藩府が置かれていました。
本 ...
小倉城

小倉城は慶長7年(1602)細川忠興公が築城した名城です。天守閣の外観は五層六階で破風がなく、五層目が下の四層目より大きくて、黒塗りとしている。当時は「唐造り」とよばれ全国唯一の珍しいものでした。忠興公の後、小笠原藩が代々ここに居 ...
大内氏館

この居館は、大内氏(周防の守護職)24代大内弘世以後歴代が、ここで政務を執った所です。
その領国は、中国・九州地方までおよんだため、山口は西日本の政治経済の中心地となりました。また、大内氏は海外との交易によって富の蓄積と異 ...
大垣城

大垣城は美濃守護・土岐一族の宮川吉左衛門尉安定により、天文4年(1535)に創建されたと伝えられています。関ケ原の戦いでは、西軍・石田三成の本拠地となりました。その後、戸田氏が十万石の城主となり明治まで太平の世が続きました。昭和 ...
浜松城

浜松城は、徳川家康が遠州政略の拠点として築いた城で、1570年から17年間在城しました。
歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから”出世城”とも言われました。
400年以上の風雪 ...
浜田城

浜田城は別名「亀山城」とも呼ばれる標高67メートルの平山城で、北は松原湾をかいして日本海を望み、南から西にかけては浜田川によって囲まれています。
元和5年(1619)に伊勢(三重県)松坂から古田重治が5万4千石余の浜田藩主 ...